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海峡paper版23号 アーカイブ
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薔薇をつめぱ 1996年2月22日
陽春二三月 きさらぎ弥生春のさかり
草与水同色 草と水との色はみどり
撃条摘香花 枝をたわめて薔薇をつめぱ
言是軟気息 うれしき人が息の香ぞする
(孟 珠)
私の好きな佐藤春夫の「車塵集」の中の、如月を歌った漢詩と春夫の名訳です。
ハイティーンの頃「2、3月にバラの花の咲く」というのが不思議で
「中国の南部にはそんな所もあるのかしら?」
と中国のバラをいろいろに想像していました。
「草与水同色」を「草と水との色はみどり」と訳す春夫の腕の確かさに
心がワクワクしませんか?
この7年、暖冬だった冬に草抜きに励んだ私は、草に触れ束ねる度に
この漢詩の香を包まれました。
いつまでたっても「うれしき人」がいない私は2月の大気に
その冷たさと光の配合で私の肌を刺激されて、姿なき恋人の息の香を実感。
また、如月、弥生を春のさかりと訳す春夫に共感を覚えます。
2月には、「梅見月」「木芽月」「初花月」「令月」と呼び方があります。
版画家の忌地孝四郎氏も2月が1番好きとのこと。
ファンは、意外と多いかもしれません。
私はこの詩の朗読を、
2月に「治安維持法」によって虐殺された小林多喜二さんに捧げます。
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カルト宗教
1996年 2月24日
オウム真理教に解散命令が出され、破防法が適用された。
でも本当に解散命令が出され、破防法が適用されるべきカルト集団は、天皇制である。
その天皇制は、昔「治安維持法」という法律を作って、天皇制の暗示かからず、
物事の本質を射抜くように見ることができた美しい心の持ち主たちを、
惨い殺し方で殺していった。
戦後51年、日本の子供たちは、かつて日本人がアジアの人々に流させた涙、
そして今も流させている涙と同じ涙を流して、苦しんでいる。
因果応報とは、このことだろうか。
不幸にもご自分の子供さん達が繊細であったが故に被害に遭われたご両親は涙を流す。
でも、この方たちですら、慰安婦、水俣病、カネミ油症、日本のODA事業、その他
一連の社会問題と自分の子供の不幸が大きく繋がっていることがピンと来ていない。
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コメント欄ではせっかくのリンクがクリックで飛べないので、ここに貼ります。
いろいろ読んでいただけると嬉しいです。
Commented by mariさん(mariさんのコメント)
戦中のこと、治安維持法のこと、そして小林多喜二のことを知らない若い人たちは、
wikipediaの記述だけでも良いので、読んでみて欲しいですね。
小林多喜二は三・一五事件を題材にした『一九二八年三月十五日』(発禁処分)で、
特高警察による拷問の様子を生々しく描写したことが特高の逆鱗に触れて、
後に逮捕された時に拷問で殺された、と言う説もありますね。
右の写真の一部に多喜二の無残な遺体の写真があります。
辛いけれども、しっかり拝見しました。
三木清は敗戦後一カ月も経った1945年9月26日に獄死しています。日本政府は戦後政治犯を釈放しなければならないことさえ知らなかった。これもまた酷過ぎる事例です。
いずれにしても戦争についてのきちんとした総括も反省もなく、
責任もひたすらずっと不十分なままにしてきた結果が、す。
今もこのありようなのでしょうね。
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