災害用郵便(被災郵便)をめぐって その1 byマサコ |
郵便法第19条の2と郵便規則第6条により被災地からの第一種・はがき・速達料金は無料のはずであった。定められた期間は、被災地と認定された日から1ヶ月間である。神戸市の場合は1月18日から2月18日まで、明石市は1月21日から2月21日までであった。
被災地住民の中には、この法律の施行を知り、トラブルも無く郵便物を出された方もいらっしゃるだろう。だが私が情報を得た人々の間では、この制度が必ずしもスム-ズに本来の機能を果たしたとは思えない。
日本では、利用者に権利があっても、それを知らずにいると使えないということが一般常識らしい。今回、郵便局を通して私が体験した事が、一般市民の「窓口で詳しく知る権利」と、行政官の「口頭で公示する義務」について再考する機会となる事を願ってやまない。
* その経過
私は平素、明石市と神戸市に半々に暮している。私と郵便局の関わりは深い。40に近い団体への送金、いくつかの運動支援のための物品販売の送金、そして数限りない資料や本の送付等、ほとんど毎日のように郵便局に出かける。郵便局の人たちはいつもとても親切だった。
1月17日(注1995年)の阪神淡路大震災で、明石市も被災した。地獄のような揺れにもプレハブ住宅の我が家にはほとんど被害はなかったが、家の中は大混乱。食器はほとんど壊れ、数々の落下したものは使い物にならなくなった。又、家の東西両側のブロック塀は倒れかかった状態となった。
1月21日、私は、地震後初めて郵便局に行った。いつも行く局が少しも壊れていなくて嬉しかったのを覚えている。
実は、地震直後から、「郵便が無料」の情報が、TV・ラジオ・新聞を通じて流れていたというのであるが、私は知らなかった。
沢山の世帯が停電していた。どれだけの人がTVやラジオを聞くことができだろう。あるいは、あの大混乱の中でどれだけの被災者がいつものようにゆっくり丁寧に新聞を読めただろう。
2月1日に初めて災害用の郵便を知った。それまでずっと切手を買い、1㎏までの郵便料金を払い続けていた。局員から、親切に教えてもらった事は一度もなかった。
2月2日、初めてはがきを2枚災害用郵便として郵便局に持参した。
何と、年若い女子局員が私のはがきの内容を読むではないか。びっくり仰天して「内容が地震のことでないといけないのですか?」と聞くと頷いた。
2月3日、はがきを3枚出しに行く。昨日の人よりは、丁寧に読まない。「3枚だからかな?」と思った。
その日初めて、私は貼紙に気づいた。
「兵庫県南部地震による被災者(個人)が窓口へ差し出される郵便物について--第一種郵便物等に限り2月21日まで料金が免除されることになりました。詳しくは窓口でお尋ね下さい」
という文字。
「なぜ、第二種のはがきが受け付られたのか?」という疑問を持った。
問い合わせた神戸中央郵便局の情報では、「はがき、第一種(4㎏1350円まで)無料。内容は何でも良い。個数制限なし」という事だった。
2月6日私は、沢山の郵便物を持ち込んだ。
この時郵便局では、私のそばに長い行列が出来ていて、お年を召した方が計量してもらい、料金を払っておられた。私は、その肩を叩いて、「今は無料ですよ」と教えてあげたかったが、なぜだか出来なかった。
局の人は、不愉快極まりない表情で私の郵便物を取り扱っていた。この日に限らず、局員が利用者に被災郵便の事を教えているのを見ることはなかった。相変わらず、にこやかに、明らかに地元の人とわかる人々に切手やはがきを売っていた。その笑顔が私には恐ろしかった。
2月7日、私は、「なぜ一人一人に災害用の郵便の事を教えないのですか?」と聞いてみた。 「教えています」と最初、私のはがきを読んだ職員が答えた。
「(個人に限っているから)会社の人にいうたかて仕方がない。ここにちゃんと貼紙も貼っています。」
と、いつの間にか窓口の横に引越しした貼紙を指さす。
「どなたも読んでおられないでしょう? 皆さん、料金をお払いになっていらっしゃるじゃありませんか? 貼紙は入口に貼って下さい。」
それ以後この貼紙はピンクのマジックでマ-クされ少し目立つようになっていたが、入口に貼られることはなかった。
2月8日、ますます白い目をむく恐ろしい局員たちの視線に、私は「これは余程の事がある」と考えていた。
2月9日、郵便物を前に女子職員は、局長の方を何度も振り返って指示を仰ごうとしていたが、局長は無視していた。そこで彼女はスタンプを私に手渡し、私は自分で封筒に「災害用」スタンプを押した。聞こえがよしに数を数える声が聞こえた。
もうわかった。他の局はどうしているか調べに出よう。
2月10日、別の郵便局でも、災害用郵便は甚だしい違和感を持って迎えられた。
「この局では、災害用の郵便のこと、一人一人に教えていらっしゃいますか?」と問うと、顔を赤くし、口を押さえた局員が、
「みんなにはねぇ」と答えた。
「私は知っているから感謝して使わせていただいてますが、ご存知ない方もいらっしゃるので、どうか皆さんに教えてあげて下さい。」と頭を下げて局を出た。
日頃から郵便物の多い私は、期間中自分の足で隣接する神戸地区1ヶ所と明石市内数ヶ所の局を調べて歩いた。
貼紙の無いところ、窓口の職員さえ知らない所と様々であった。
62円切手を買おうとした人にも「今は80円ですよ」と80円切手を売っていた。
被災郵便のことを教えている所は1ヶ所もなかった。窓口職員が、局長の所に持っていって「局長がいいといってるから・・」と受け付ける所もあった。
「被災郵便」と申し出ているのに計量して料金を取ろうとした女性局長は、「お客さんが被災なさったのですか?」と、私に呆れ返ったといわんばかりに言った。
一番ひどかったのは市内一の大きな郵便局である。窓口の職員は「避難所にいるのか? 証明書を見せろ。被災郵便は避難所にいる人だけのものだ。」と応対し、押し問答となった。
奥の部屋に局長と副局長らしき人がいた。窓口職員は局長に私の言い分を伝え、局長は「そうやで。第一種、はがき、速達はみんな、普通の人でもただや」と告げた。
飛び上がらんばかりに驚いた局員は「普通の人もただやったんか!僕は切手やはがきを売り続けてた」と人間らしい声をあげた。
私はこの時、速達も無料だと初めて知った。この局には災害用のスタンプも用意されてなかった。貼紙も貼っていなかった。後日、局は「貼っていたけれど、出入りの人が多くて、剥がれてしまった。」と弁明している。
帰りがけに窓口局員は、「使わせへんかったのは、悪用されんためや。会社が宣伝用に使うからや。あんた、僕等を国家公務員と思っているやろ。郵便局はそれぞれ別個のもんや。手紙の内容は地震のことだけやで。地震のこと以外何も入れたら、あかんで」と言った。
私には局員が国家公務員ではないとか、定形外で4㎏まで受け付けながら内容は地震に限るというのがどういうことなのか理解出来なかった。
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被災郵便(災害用郵便)を巡って byマサコ (2016/05/14 投稿)
本局まで取りに来るように言われました。
『私はこのように教育されている』と。。
あ~教育もいいけど、個人情報保護もいいけど
まるで砂漠の中で暮らしているようです
しかし・・ポストに入れたのは私ですが、封筒の差出人は夫ですから、委任状云々となるのでしょう
そうそう、話しがそれますが、先日、お見舞いに行くと
どの病室にも患者さんの名札がありませんでした。
で、病室が分からないので、ナースステーションに看護婦さんが戻られるまで待っていました。
かと思えば、幼稚園の送迎にも身分証明のような名札が
必要なようですね
自分をオープンにしないことと
自分が自分である証明・・・
あ~~複雑になりつつあります
尼崎のJR事故の時に、「入院しているのではないか」という家族からの問い合わせ電話に、病院が答えなかったので家族が病院を歩いて捜したということがあったようです。
患者の個人情報保護がその理由とか。あほらしくなりますね。ノリコ