#6 2018年6月10日お別れ会 byモニカ |
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2018年 06月 19日
肝心のイベントの閉会式を書き忘れていた。 又しても前後するけれど、書き留めておく。 水道町の官舎からそのままのtaxiで、前回ミュージックセラピーに参加した 梁實秋故居に回る。ここで今回のイベントが閉会となる。 他の参加者は皆朝からの行事に参加され、最後にここにこられるのだ。 伯父も同じような蓄音機で今も少し我が家に残る、シュナーベルの ベートーヴェンを聴いていたのだろうなぁ。 14時の紫藤盧は以前、toshiさんがお茶を振舞ってくださった場所。 元気なら皆参加してみたかったけれど、我々にはこのゆとりが必要。 ノリコさんと2つ目の旧宅を訪問できた幸せを噛みしめながら、到着。 早めに着いたので、控え室のようなお部屋でtea masterが淹れてくださる お茶をいただく。 このtea master はベイカリーで美味しいパンも作る職人さんだとか。 話がたくさん有り過ぎて、気づいたら、会場は人で一杯に。 たくさんのスタッフとメディア、そして湾生家族。 曾さんもお友達を連れて駆けつけてくださった。 他にも日本でこの集会を知り、飛んでこられた方もあり、 その熱気に驚かされる。 黄先生の挨拶。横は通訳の方。(お名前失念) 湾生を代表して坂本英子さん挨拶。
最後に父の作曲した予科の創業歌をみなさんと一緒に歌った。 開校まもない時、学科を作ろうとまず詩を募集。 第一回生の生徒さん作詞の美しい歌詞が選ばれた。 その後、以前に台北帝大の学歌を作っていた父が頼まれて作曲したものだ。 その台北帝国大学の学歌もまず詩が募集された。 お隣に住む親しい友人が歌詞の募集に応じて優勝。 その歌詞につける曲が募集された時、父が応募して1位に選ばれたそうだ。 (台湾大学に行けば、校史館でボタンを押せば聞くことができるらしい) その実績を買われて、頼まれたのだという。 寮歌祭があると出かけていた父がドーナツ盤のレコードを持ち帰った時、 我々は全員、何の興味も示さず、話題にもしなかったけれど、 80年近く経って、この台北で我が子4人が自分の作った歌を 台湾の人々と一緒に歌うなどと、想像もしていなかったと思う。 こういう場を作ってくださった黄先生に深く感謝。 会も終わり、雑談をしていた時、突然tinaさんがYoshiさんに、 「タイヤルの歌をプレゼントします」 と言って、歌い始められた。 すると驚いたことに、彼が一緒に歌い始めたのだ。 母と祖母の3人で疎開していた場所はタイヤル族の地域で、 ノリコさんが生まれた後、 「小さい子がいて大変ね。今度お肉持ってきてあげる」 と言って、その後、お弁当箱いっぱいにお肉を持って来て下さった方が あったらしい。他にもお世話になったことがあったようで、母は常々、 「どんなに有り難かったか」を話してくれた。 その話と一緒に疎開して住んだ家がタイヤル族の竹の家だった記憶や、 朝起きるとその竹の壁に蛇の抜け殻があって驚いた記憶、 蛇を料理したおかずを食べた記憶などがあるYoshiさんにとって、 タイヤルへの想いは深いのだろう。感極まって涙していた。 これには我々も驚いたけれど、周りにいた台湾の人もびっくりしていた。 youtubeで検索して、聴いていた歌「歓迎の歌」だ。 まずは子供達の歌声でどうぞ。 01泰雅歡樂歌(子供達の歌) https://www.youtube.com/watch?v=cFfW7csC_Ck 開会式とお別れ会にしか参加しなかったけれど、 心に残る思い出は山程作っていただいた会だった。 企画し、心細かに準備し、実行までこぎつけて下さった 黄先生はじめスタッフの皆さんには本当にお世話になりました。 6度目の台湾への旅をこんなに深く心に残るものにして頂いたこと、 感謝に堪えません。 ありがとうございました。 これからの旅1つ1つがより実りの多いものになるように 進んでいきたいと思います。 「泰雅族歡樂歌」その他のヴァージョンも一緒に載せておきます。 泰雅族歡樂歌 Rimuy Sola Rimuy Yo https://www.youtube.com/watch?v=8JeaSYepua0 泰雅歡樂歌 https://www.youtube.com/watch?v=OC4ZMs1x5r4 ************************************************* ************************************************
by grpspica
| 2018-06-19 22:00
| 旅・台湾
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