祖母の母校訪問 その1・神戸女学院 byモニカ |
こういう先祖のルーツ探しは世界的な傾向で、 先祖が歩いた道や家屋を訪ねたいが、自分たちではできないから専門家に頼み、旅行もプランしてもらう仕事が米国でも流行ったそうです。
実践ビジネス英語の語学学習でもドラマチックに取り上げられていました。
モニカさんは台湾のことも独自に探されてれて本当にすごいパワーですね。
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2019年 04月 29日
タグ「ルーツ」 ←クリックで記事一覧へ ルーツ掘り下げ作業もいよいよ終盤となり、 先日(4月26日)は父方祖母の母校・神戸女学院を訪問。 祖母は1883(明治16)年1月9日に兵庫県姫路市五軒邸90番地で生まれた。 祖母の祖父は姫路城で剣術の指南役をしていたとのこと。 以前の「新陰流巻物」は祖母が亡くなったお兄さんから引き継いだものだ。 曽祖父が借金の保証人になったため、家屋敷を失い、家族で神戸に転居。 そのあたりの経緯は大伯母の記した「こぼれ梅」に詳しいが、 祖母の話はあまり出て来ない。 以前から、神戸女学院を卒業したとは聞いていたけれど、 それ以前の経歴はほとんど聞いていない。 大伯母の本の中にある転居履歴をみると、現在、ノリコさんが住む辺りに 暮らしていた様子がわかる。 ここまで両祖父のことを掘り下げて分かった事が多いのに、 父方祖母・ツルさんのことがはっきりしないのは良くないと、 神戸女学院に問い合わせをしてみた。 すると 「第23回普通科ご卒業 (1906(明治40)年3月)」 というお返事があった。 大伯母が会報に投稿した記事などが残っているというので、 ひょっとしたら卒業写真も見せていただけるかもしれないと思い、 同窓会事務局にお願いし、岡田山まで出かけることにした。 大昔、1度、母に連れられてどなたかセンセイをお訪ねした記憶がある。 小学校1、2年だったろうか。用向きは何だったのか知る由もない。 卒業写真は個人情報なので、卒業生以外は見せられないとのこと。 祖母の写真は結婚写真からしか残っていないので、 祖母の学生時代の写真が見られるかと期待していたんだけどなぁ。。 「卒業生本人以外」ってねぇ....... 1906年卒業の人が生きているはずもないし、 一緒に写っている方々を知る由もないのだから、 子孫に見せない規則って、何を守っているのかしら。 母方祖母の母校・津田英学塾(津田女子大)では 第8回生の卒業写真をコピーしてくださっていた。 ずいぶん違う対応にびっくりだった。 (この学校訪問は次に記す予定) でも創設された最初の山本通の校舎のエッチング12枚を 見ることができたのは収穫。(24枚あるらしい) 書くことが好きだった大伯母の同窓会誌への投稿は 全文、コピーをいただいた。 明治33年8月27日撮影 祖母と大伯母 祖母は卒業の翌年、1907(明治41)年11月15日に渡台。 1909(明治43)年4月12日に台北で祖父と結婚。 (3男と長女は幼くして亡くなった) 1930(昭和5)年12月5日・台中県二水で夫(祖父)を亡くし、 台北の高等学校に通っていた父と弟と合流するために、再び台北へ。 以後、1947(昭和22)年5月に引き揚げるまで台北で暮らした。 (最後の1年半は母の両親が引き揚げた後の台北の東門の家で暮らした) 亡くなるまで同居していた従姉の話によると、 祖母は女学院での友人や受けた教育に感謝していてよく話をしたらしい。 80を過ぎてもそれぞれの近況を書いたクラスレター(ノート)が回ってきて、 楽しみにしていたそうだ。 祖母の書いたものが一切残っていないので、ちょっと見てみたい気がする。 神戸女学院(大学) 沿革 1873 明治6年 米国伝導会派遣のタルカット、ダッドレー両宣教師が、神戸花隈村に 私塾(デイ・スクール)を開設 1875 明治8年 神戸山本通に女子寄宿学校「女学校」(Kobe Girl's を開校) 1879 明治12年 校名を「神戸英和女学校」と改称 1894 明治27年「神戸女学院」(Kobe College)と改称 1933 昭和8年 西宮市岡田山(現在地)にスパニッシュ様式の校舎を新築し移転 1948 昭和23年 4年制の新制大学「神戸女学院大学」となる 1965 昭和40年 大学院を設置 1975 昭和50年 創立100周年を迎える 以下は写真に撮ることができた旧キャンパスの校舎たち12枚。 大伯母・祖母・そして父の従姉が学んだ学校だ。 大伯母の記した「こぼれ梅」にも出てくる「講堂」「南舎(宣教師宿舎)」 神戸のどこからも見えた鐘楼のある「理化学館」の形がわかり、楽しかった。 額のガラスが光っているけれど、残しておく。 「神戸女学院風景・エッチング」 (神戸山本通り 旧校舎) 製作者・神原 浩(1892-1970) 神戸女学院在職(1924-1938) 岡田山の前のキャンパスは現在、神港学園高等学校。 敷地内に「女学院創設の地」の石碑があるらしい。
by grpspica
| 2019-04-29 21:01
| 旅・台湾
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Comments(1)
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grpspica at 2019-05-05 17:37
写真楽しく拝見しました。神戸の山本通りは散歩道だったので、 先祖たちの青春と私の人生を重ねて不思議な気持ちです。先祖が歩いた昔の道を改めて想っています。
こういう先祖のルーツ探しは世界的な傾向で、 先祖が歩いた道や家屋を訪ねたいが、自分たちではできないから専門家に頼み、旅行もプランしてもらう仕事が米国でも流行ったそうです。 実践ビジネス英語の語学学習でもドラマチックに取り上げられていました。 モニカさんは台湾のことも独自に探されてれて本当にすごいパワーですね。 マサコ
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