再びの祖父・石崎皆市郎のカトリック教会 byモニカ |
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2019年 11月 06日
祖父母・竹二夫妻と母方祖母・加壽恵さんの教会について、 詳しく調べることが出来て、ホッとした時、 母方祖父・皆市郎さんのカトリック教会については、 以前の調査後、新しい発見もなくそのままであることに気づいた。 推測の域を出ていないのだ。 *台北・石崎皆市郎さんのカトリック教会 今回、改めて台湾の黄さんにお願いしてみることにした。 しかし、彼をしてもあまり役立つ資料は手に入らなかったようで、 直接、華山カトリック教会に連絡を取ってくださった。 今の所、神父様からもあまり役立つ情報は届いていないが、 黄さんが見つけてくださった「臺灣カトリック小史」を読んで、 改めて、祖父の教会が現在の華山教会であると確信した次第。 祖父・皆市郎は1920年に渡台。 1年ほど台北の官舎に住み、その後1921年から台中に転勤。 1925(大正14)年に台北に戻り、以後引き揚げまで居住。 明治14年生まれの彼がいつカトリック信者になったかは不明だが、 奄美大島出身の祖父の一族はほとんどの人がカトリック信者だから、 子供の頃から教会へ通っていたのかもしれない。 この第4節には前の日記にも記した教会沿革にも少し触れている。 ・1918(大正7)年頃から台湾に来る内地人信者が増えたこと。 ・本島人の教会では言語習慣の違いから不便を感じることが多く、 ・1928(昭和3)年、トマス・デ・ラ・ホズ教区長の英断で 日本人信者の寄付金と三万余円を投じて樺山町の一角に200余坪の土地に 間口5間、奥行き10間の聖堂を建てた。 隣に2階建(階上を教区長館、階下を伝道場)を建て、1929(昭和4)年竣工。 ・当時の信者はごく僅かだったが、その後次第に増え、冊子発行の頃には 200名を超える数となった。 とあった。 この年代を、祖父・皆市郎の履歴と合わせて見ると、 聖堂建設が決められた年は、彼が台北に戻った(1925)年の3年後になる。 母たちから祖父の教会について聞いたこともないので憶測の域を出ないが、 熱心な信者だった祖父は、この日本人のための教会建設計画にも積極的に協力したのではないだろうか。 父方の叔母たちに祖父の教会を覚えていないか尋ねてみたが、 残念ながら、カトリック教会に通っていることは知っていたけれど、 教会の場所までは覚えていないとのことだった。 1930年地図 樺山カトリック教会 「西教堂」と記してあるのが面白い こうして古い写真を目にすると、残っていたらなぁと思うけれど、 台北駅前の大通りにある天主堂だから、開発の波には勝てなかったのだと思う。 それにしても殺風景な聖堂になってしまった。 でも、黄さんのお陰で古い写真を見ることができただけでも幸せ。 付 記 いただいた聖堂白黒写真には太い電線が建物を横切っていて目障りだったので、 画面に影響のない様に、工夫加工しました。 上等の加工ソフトじゃないけれど、目の邪魔にならない程度には消せたかな。 ****************************************
by grpspica
| 2019-11-06 14:38
| 旅・台湾
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