ナボコフ雑感 by マサコ |
カナダにいた時、日本人に聞かれた。
わからなくて、私も人に尋ねた。
一度だけ週刊誌でナボコフの本の噂話と写真を見たことがある。
「これがあのロリコンのおじさんかい!」
横向きのナボコフの写真から流れ出る怪獣的エネルギーに圧倒された。
「『ロリータ』、読んでみないといけんのう」
ナボコフの名を再び見かけたのは、一時流行った「グ−ルド、アスペルガ−説」の頁。
アスペルガ−で有名な人々の中には、確か「アインシュタイン」も入っていたような。
要するに世の中で、人と少し違う人は、アスペルガ−にされてしまうのか?
これで少なくとも大好きなグ−ルドと同じ病気にされかかっているナボコフという作家がいると印象深く記憶に残る。
次に新聞に「透明な対象」の書評が載る。
「ナボコフを大好きになるか大嫌いになるかに分かれる作品」とある。
そしてナボコフが「フロイト嫌い」とわかり、理解し合える相手と確信する。
かくして、最初の数行で、気づいたらナボコフ王国へのパスポートを手にしていたのだった。
それから数カ月。ただナボコフ。愛する人、いとしい人、恋する人の世界。
ナボコフが何をしても愛らしく、可愛い。そこにいるだけで、全世界を私のために注ぎ込んでくれる作家。
ナボコフが「ディフェンス」で「見たところおいしくなさそうだけれど食べると美味しいシュークリーム」といえば、それだけで恋に陥るような一時期を経験する。
知覚が知覚を呼んで、知覚で倒れそう。
熱中している時は、聴覚、視覚までが異次元にいるように魅了されてしまった。
ナボコフのやんちゃ、毒舌、デリカシー、無邪気な心、極悪非道な宗教性、超個人主義の社会性などが、花々のように私を包み守ってくれた。
君は、なんという人なの?
ナボコフが子供の頃、病気の時に大きな鉛筆を母親が家に持ち帰るのを霊視したそうだけど、どうしてその時に東洋の一国に、あなたの作品を読んで喜びに震えている私を見なかったの?などと虚妄性共感覚の拡大に包まれつつ、私はナボコフという「護符」をぴったりと体に張り付けたのであった。
ナボの前にナボと共に、ナボなしで生くる。
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