なつかしい人々 その1 byマサコ |
母方の曾祖母とその娘の人生を映すような桜の開花に2人の女性を偲びたい。
人が食べる白いまんまを取り上げてまで、自分の一族に財を蓄え、贅沢な暮らしを保とうとする人たちは、いつどこでも存在するが、曾祖母の実家は支配者層の出身であった。
曾祖母が後妻として嫁いだ家には先妻の子供がいた。それでとても苦しんだ。
祖母が好きになった人との縁が「再婚」だったので、曾祖母は自らの経験から反対した。自分のした苦労を娘にさせたくない思いからだろう。
祖母が、知性や教養、育ちの温度差が20度もあろうかと思われる祖父に嫁いだ事から、彼女の悲劇の人生は始まった。
同じ苦労するなら、最初だけでも「好き」と思えた人物の方が、マシであったのでは?と子孫の私は頭で小説を書く。
曾祖母の優れた頭脳は、祖母の超人的な才能となる。2人は、料理の名手であった。しかも決して「いりこ」の出し汁は使わない「超お嬢様のクッキング」。
今日、パリの一流シェフが「昆布」と「カツオ」の出し汁に狂っているが、誰も「いりこ」に惚れないところがおもしろい。
祖母の削った「かつお節」の美しさは、今でも覚えている。母が削ってもあの形にはならなかった。
祖母との相性が、現在のナボコフの熱狂ファンの源ではないかと思われる。
ナボコフと祖母は、共通点が多い。
・なんでもできること
・同じ土地にズデ-ンと何年も住み続けないこと
・何もかもが中の上であること
・とこぎり苦労したり、努力するタイプであること
つき合ったり関わったりする人々を慎重に選ぶことが、このふたりの唯一の人生の幸へのパスポートであったろう。
人生の一部(特に幼い時)を「貴族的」なレベルで暮らせば、その時の生活習慣が脱けることはなく、程度が落ちた時の「悲哀」は、我々下々の者にはわからない程に堪えると思う。
あっ、曾祖母のことを書こうとしたら、ナボコフが割り込んで来ている。
けふは、おめでたい日。 どれだけの男性が、1955年と同じように、間違えて「ロリータ」を手にすることだろう!
おっ、1955年といえば、グ-ルドのゴル嬢のデビュー年。ここでグ-ルドもようやく割り込む。
2005/11/30