2006年のご挨拶 |
2005年のビッグニュースは、個人的には、祖父の生まれた奄美大島訪問。
大きな墓所の一族のお墓の群を見て、突然先祖のことが知りたくなり、これまで、いただいても余り読まなかった親類の回顧録的な本を斜め読みしたり、先祖の系譜を作ってみたり・・・
この年齢になると、誰しもが似たような行動を取るようですね。
次は、モニカの見舞いに行った先においてあった血圧計。
意外や意外、この私が高血圧ですって。
そこでドクターのところへ、
「お薬を飲んだ方がいいでしょうね。さてどちらにします?」
と聞かれて即ジェネリック薬品を。これが特許中の薬に比べると4分の1の代金で、30日分たったの800円!
でも後にお医者様の利益もそれなりに少ないと聞いて「制度がおかしい」といきどおることしきり。
ホームドクターには悪かったかな。
以来家庭用血圧計で朝に夕にと計かるのが楽しみに。
「あまり下がらないのはジェネリックだからじゃないの」
「休みになったから少し下がったのかしら、それともマサコさんの指圧が効いているのかしら」
などなど話題を提供しています。
引退まで目標ではあと5年です。
仕事をうまく調整しながら、大過なく終りたいと思う日々です。
みなさまの健康と幸せ・世界の平和そして
日本が戦争に参加しない国であり続けることを祈念します。
A Happy New Year!! モニカ
昨年はいつになく移動の多い年でした。
1昨年の秋の宮崎参りをきかっけに
1月、再度、宮崎入り。
5月、再々度宮崎入り。宮崎を起点に奄美大島往復。
8月、親戚の葬儀の為、上京
9月、再度の奄美大島行き
お陰でJalのマイレッジが楽しみに。
しかし、元気に移動ばかりの年ではなかった.....。
12月に入って早々、肺炎で、即刻収監。
1週間の入院沈澱。20才の時の盲腸以来の入院。
6年前にも高熱を出した後、ひどい咳と痰で肺炎と診断され、
入院を薦められて「滅相もない」とお断りしたことがある。
ああ..... 6年に2回も肺炎とはねぇ.....
「あんたってそんなに老人だったの???」
「あんたってそんなに子供だったの???」
なんて言われたけれど、肺炎って以外と高齢者と幼児の病気ではないらしい。
しかし、2回とも「肺炎 か マイコプラズマか」はっきりしない状態で、
最終的に 前回 →「おそらく肺炎だったであろう」
今回 →「前回よりはマイコプラズマっぽい」
(前回の先生にFAXしていただいたカルテと今回のを比較した結果の話)
まっ、無事1週間で退院し、仕事に復帰。
現在は1月22日の発表会の準備に終われる毎日。
体力の無さを痛感しながらも、平和の中で暮らせることに感謝。
今年はまだまだ移動の多い年になりそう。
今度は倒れないように、過ごしたいもの。
そんな訳で、手抜きだらけのお正月を過ごしてます。
2006年、皆様にもよりよき1年でありますように。
世界の平和を祈りつつ
元旦に寄せて マサコ
明けましておめでとうございます。
穏やかな元旦は「アカハタ」をゆっくり読んで、月並みな言葉ですが感動しました。
多くの人々が「どれい化」させられていく状態を的確に伝えながら、歌舞伎のこと、サッカー、冬季オリンピック、名護市長選のことなど、アッと驚く美しい写真で盛り沢山で、豪華。
平和と人権を守ることが、どんなに難しくなるか?
基本的な問いかけを晴朗なひびきで新年にこだまさせた、名版。
1881年に生まれた「五日市憲法草案」のことは初めて知りびっくり。
戌年にちなんでか「川上犬」のことも。
瀬戸内海、岩城島でレモンを作るご夫妻の情報もさわやかな写真と文で楽しめます。
絵手紙コーナ−の上にある「海底下7000m」の人類未踏のマントルの記事には、ワクワク。
今年の願いごと
人々に公正な条件の職場を
人々においしい食事を
人々に楽しいお菓子を
人々にきれいな音楽を
1人1人が、愛の心を持続させて生きていけますように
15才の時のバッハをそのまま弾けますように
2006年元旦