1938年3月23日−1990年8月 ヤコブ・ゲリンガスさま by マサコ |
トロントシンフォニーのヴァイオリニストでもいらした
ヤコブ・ゲリンガス氏のバースデーです。
音楽院の小さなお部屋で、和紙で包んだプレゼントを
お渡ししてから何年経つのでしょう?
1985年秋から1986年の冬にかけて、
ピアノの先生であったマリーナのご主人、
ヤコブさんの生徒の伴奏をするようになりました。
自分の弟子が伴奏者になると、
「共通の話題が多くなって夫婦の距離が無くなり、息が詰まる」
と避けておられたそうですが、
「いい仕事をするに違いない」
と私を紹介して下さったのです。
ピアノをドイツ語圏とするとヴァイオリンはフランス語圏。
それを我が日本サウンドのピアノで合わせるので大混乱。
特に最初は生徒の弾く音程の曖昧なヴァイオリンに、
耳のいい私は振り回され怒鳴られてばかり。
「何やってるんだ。よく聴け!」と怒られたものです。
その内、ストレスで声が出なくなる数日を過ごしました。
レッスン日、紙に「I have no voice today.」
と紙に書いてみせると、笑いながら
「歌手でなくてよかったね」
「大混乱の元は、マサコの耳が良すぎるから起こる珍現象」だと分析し、
ロイヤル音楽院、真実なる音楽家に守られながら、
修行していた日々が懐かしい。
「今、本校舎は改築中で、仮校舎生活は1年半くらいになる」
とマリーナが教えてくれました。
仰げば尊し、我が師の恩
先生は、両親の次に大切です。
格安チケットでNYへ行く途中、トロントにおりた。
マサコさんに頼まれたおみやげをもって音楽院へ。
余り時間がなくて、音楽院の事務局に預けようとした時、
入って来られたのが見覚えのあるヤコブさん。
「失礼ですが、Mr.Geringasですか?」
「ええ」
「マサコの姉です。ちょうどよかった。
Mrs.Geringasへマサコからのプレゼントを預かってきました。
時間がないのとお仕事の邪魔をしたくないので預けようとしていた所です。
Mrs.Geringasにお渡して下さい」
「No,no,no. とんでもない。彼女は貴女に会えた方がどんなに幸せか。是非スタジオに行って下さい。きっと喜びますよ」
ロシア語訛りのつよーい英語でしたっけ。
音楽家が多すぎて仕事がなく、やむを得ず、ベルギーへ。
なんでも最後の受け入れ枠だったそうだ。
しばらくそこで過ごして、やっとカナダに移住。
「自分の家があって、こうしてベランダで静かな午後が過ごせるなんて最高に幸せ!」
としみじみ話して下さったマリーナ先生。
夫君ゲリンガスさんも同じ思いだったでしょう。
弟さんは日本でも人気のチェリスト
ダヴィッド・ゲリンガス David Geringasさんです。 by モニカ