「海峡」の命名に寄せて by原 真砂子 |
自宅から浜までは、歩いても自転車に乗っても、私の体カでは遠すぎた。
だから、病気治療のため官崎に2年、岡山に1年5ケ月暮らした時も、
トロントに滞在した7年の間に私は、
そして、グレン・グールドの育った家がオンタリオ湖畔にある事から、
そしてようやく、意識していなかった「瀬戸内」に近い景色を求めている自分自身の行動がわかるようになった。
1991年3月、それまでに属していたある宗教団体を離れる決心をした。
その日、私は海辺まで散歩した。
その日から、私は地元民として、海辺の美しさや明石海峡の様子に心を奪われる。
大船、小船、モーターボート、サーファー、
目まぐるしい程の交通量に、対岸の淡路島の美しさ。
何もかもが初めての経験だった。
よく事故が起こらないと思える忙しい海峡での船の様子は、
あの船はどこへ行くのだろう。どんな用事で? 何を積んでいる?
あの船にはどんな人が乗っていて、今、どんな仕事をしているのだろう……。
ある時は止まっている小船の姿に永遠なる一瞬を感じた。
2年半の間に散歩した回数は35回位。これも一にオンボロの体力のゆえ。
そのお陰で一回一回の散歩時のどんな事も忘れない。
前置きが長くなったが、文集を作ろうと思ったのも、
1992年4月より93年8月15日にかけて私は、
「文の世界で自己表現する事のみが私に与えられた自由だ」
との思いを強めていく。
ある日、海辺の高台て明石海映を眺めている時、そうだ「海峡」にしよう と思った。
信念と理想がある人間のように、あのひとつひとつの船には目的地がある。
その船(人間)の推進力が感じられる文集、「海峡」でありたい。
そして海は世界の国々をつなげ、日々、偉大なる浄化作用をしている。
これが「海峡」命名の理由である。
数日後、私は朝鮮海峡の事を思い出して笑った。
日本と朝鮮の歴史に気づいた人で、玄界灘が胸にズシンと来ない人はいないと思う。
会の名前からすれば誰もが、私が玄界灘を思って、この文集を「海峡」と名づけたと思うだろう。
私は、花を積んだ船でハングルの唄を歌いながら、朝鮮半島を目指して進みたい。
1993年9月20日
海峡2号にマサコさんが書いていた由来話があるので、
改めてここにアップしました。 モニカ
きゃー、リクエストに答えてもろて嬉しいです。
海峡=明石海峡、朝鮮海峡だったのですね。
>一人一人違った捲や場所に着く。私はその目的地が知りたい。
>その船一人間一の推進力が感じられる文集、「海峡」てありたい。
>そして海は世界の国々をつなげ、日々、偉大なる浄化作用を提供して>いる。
>これが「海峡」命名の理由である。
うーむ、素晴らしい。
でもこれでは、たとえ手にしても内容を読まずに捨てられるだろうと、ソフトな名称に変更したのでした。ノリコ
今更ながらその話題の豊富さには我ながら驚きます。
「朝鮮海峡かと思ったら明石海峡だったのですか ?」と言っておられました。
海は良いですね。 山も良いけれども海は生命を産みました。
海底から吹き上げる熱水が生命の源だという研究が進んでいるそうです。
近々、神様はいないということが証明されるのかもしれません。
そしたらどうして私達がいるのだろう。
ただ遺伝子だけの存在なら、死んだら全て終わりですね。
魂の問題を考えると何か不思議な気がします。マサコ