「100人の村から憲法がみえた」 by 津久井 進 |
題目は「100人の村から憲法がみえた」です。
その演題のとおり,とても新鮮な視点で,あらためて憲法を見ることが出来ました。
池田香代子さんは,「世界がもし100人の村だったら」の著者です。
「世界がもし100人の村だったら」は,ベストセラーにもなった本ですからみなさん御存知でしょうけれども,その後,いくつも続編が出ています。
第2弾は,100人村白書で,詳しいデータが出ています。現下の世界情勢が手に取るように分かります。
第3弾は,「たべもの編」で,世界の貧困について,「食」を通じて語りかけるものです。
最新刊の第4弾は,「子ども編」です。
この表紙の帯にあるように,世界中の国で,「子ども」がいかに幸せを奪われているのかが,なんともいえないリアリズムで綴られています。
昨日は,池田さん自らが,この本の一部を朗読されました。
「世界の子どもがもし100人だったら
31人は,栄養がじゅうぶんではなく
21人は,予防接種をうけられません。
8人は,5歳まで生きられません
障害を持っている子は 7人です。」
「世界の子どもがもし100人だったら
7人は,スラムで
5人は,家族と離れて 路上で暮らしています。」
「子どもが,子ども時代をうばわれることは,
人類が生きのびるのに欠かせない
しあわせの記憶が,うばわれることです。」
・・・・というのは,そのうちのワンフレーズです。
ちょっと想像力を働かせれば,その情景が目に浮かぶでしょう。
たいへん心にせまるものがありました。
さて,昨日の講演で得られたものは,とてもたくさんあって,ちょっと,簡単には書ききれません。
ついては,私が,いずれ敷衍してまとめてみたいなあ,と思った項目をいくつか,メモしておくことにします。
1 私たちの力は「無力」ではなく「微力」である。
声を届けるということが,いかに大切であり,有効であるか,ということが具体的に分かりました。
たとえば,私たちがしばしばがっかりさせられるマスコミの中にも,良心的に頑張っている人はたくさんいる。また,良い取り組みを命懸けでやっている人がいる。
彼らを「応援」する,「ほめてあげる」という声の届け方もあるのだ,ということです。
批判ばっかりではダメだと思っている私には共感を覚えるメッセージでした。
2 日本国憲法は押し付け憲法ではない
この問題も,いろいろな形で説明されますが,昨日の池田香代子さんのお話は,史実に基づいた,非常に分かりやすく,説得力のあるものでした。
あらためて整理したいと思います。
3 日本国憲法は「わたしたち」が定めたもの
池田さんが,英文憲法からあらためて翻訳をした「やさしいことばで日本国憲法」が分かりやすかったです。
あらためて,英文から見直してみると,この憲法の「核心」に簡単に迫ることができるので,あらたな発見が続出です。
たとえば,英文憲法では「We,the japanese people,・・・」で始まっていて,池田さんは「日本のわたしたちは・・・」と訳しています。
「日本国民は・・・」と始まる正文憲法よりも,ずっと民主的な雰囲気が伝わってくることを感じました。
ジョンレノンの「イマジン」が,日本国憲法の平和的生存権そのものを謳っているではないか,というのも納得できることでした。
4 子ども兵士
先の100人村子ども編には,次のような下りがあります。
「世界の子どもがもし100人だったら
9人は,戦火のなかで暮らしています。
軍隊や武装集団にくわわっている子どもは
30万人です。 (海峡注30万人はまちがいですね。30人では多すぎる様な気がしますので3にんでしょうか?・津久井さん)
男の子や女の子は,雑用をさせられたり
大人の兵士の先に立って
地雷原を歩かされたりします。
人を殺すことを強いられたり
レイプされたりする子どももいます。」
私は,たまたま「雑誌SIGHTの最新号を読んでいましたが,トップのグラビア写真で,
「何百人もの子供たちがハイテクな未来の戦場で戦うヒーロー」
という現代アートの作品が出ていました。おぞましいです。
(このSIGHTでは,憲法改正案が特集されていて,特に慶応大学の小林節教授のお話が面白いです)
5 この国がイヤだという人が増えている
たとえば一昨日からの話題の給食費未納にしてもNHK不払いにしても,市民の抵抗の一つのあらわれではないかということです。
この国を支えているといわれる企業をはじめとする経済界は,既に海外資本に移行していて,国外逃亡をしている。為政者は愛国を強いる。そんな中で,市民の心も離れて行っている。
そういう一面は,確かにあるでしょう。
6 全ての国の兵士が自衛隊になりたい
イラク戦争で,日本の自衛隊が当地に赴き,非戦闘支援を貫いたということです。
日本では「世界から腰抜けと批判がある」などと報じられるきらいがありますが,決してそうではなくって,戦地に赴いた他の諸外国の軍隊からは,
「そういう手があったか!」
と日本の支援のあり方に,コロンブスの卵のような感動を覚え,各国に持ち帰ったとのことです。
そりゃあ,軍人も命は欲しいですものね。人の役に立って,恨まれずに,褒められる役割を果たしたいですものね。
他方で,ほとんど丸腰で戦場に赴いた自衛隊のみなさんにも,その勇気と辛抱に正当な評価をしてあげないといけないということです。
世界中の軍隊が,全て自衛隊と化すれば,憲法前文の具体的な実現行為になるわけです。
次の戦争の時には,自衛隊を真似る行動を取る国もあらわれるかも知れません。
そうなれば,有益なアピールを実践したという意味で,自衛隊の実践をほめてあげる必要もあるということです(ただし誤解をしないよう慎重にね)。批判ばかりではなくって。
ほかにも,本当の保守主義は私たちに通ずるものがある,女性の立場,グラミン銀行はどうあるべきだったか,世界意思の結晶が憲法であること,いつ誰が9条を嫌うようになったか,などなど有益な話題満載でしたが,これらはまた改めて別の機会に譲りましょう。
池田さんは翻訳家なので,「言葉」のご商売です。
ですから「言葉」の力というか,選ぶ「言葉」の適切さは実に見事で,感動を覚えました。
ただ,もう一つ感じたのは,やはり,単なる「言葉」は言葉に過ぎないのであって,その「言葉」に込める「思い」や「事実」というバックグランドが大切だということです。
池田さんの話が面白かったのは,そのバックグランドにある徹底した事実や社会の調査・探求だったと思います。
弁護士稼業をしていく上でも,たいへん勉強になりました。
<転載終わり>
もうひとつ続きがあります。
<以下転載>
日本国憲法の作者は日本人(Made in Japan)
「現行憲法は,占領軍から押し付けられたもの。だから変えなければならない」
もう耳にタコが出来るほど何度も聞いた,実にくだらない改憲論の理屈です。
既に,多くの良心的な論客によって論破されている論点ではあります。いまさら取り上げる必要もないかもしれません。
しかし,池田香代子さんのお話を聞いて,刺激を受け,是非,多くの人に誤りを知っていただく必要があるな,と思いました。
そこで,ここに書きとどめておくことにします。
あんまり人格に深みのない安倍晋三さんは,その薄っぺらい著書「美しい国へ」の中で次のように書いています(27~28頁)。
「戦後日本の枠組みは,憲法はもちろん,教育方針の根幹である教育基本法まで,占領時代につくられた」
「国の骨格は,日本国民自らの手で,白地からつくりださなければならない。そうしてこそはじめて,真の独立が回復できる。」
「まさに憲法の改正こそが,『独立の回復』の象徴であり,具体的な手だて」
こうして,あらためて引用してみると,その不勉強さに呆れてしまいますが,その点はさて置いて,この文中の
「白地からつくる」
という部分は,膨大な過去の歴史と教訓を踏まえない,という意味でしょうか。
そうであれば,学習能力ゼロということで,著しいナンセンスとしか言いようがありません。まさか,そういう意味でないでしょう。
ここは,「日本国民自らの手で」作るというところに重点があるんでしょうね。
そうだとすると,もともと,日本国憲法は,名実ともに日本人の手で作られているのだから,改正する必要はありません。
ついては,この日本国憲法が,純和製である(made in japan)ことを,あらためて確認しておきたいと思います。
よく言われているのは,次の流れです。
(→国会図書館のHP「日本国憲法の誕生」を参考)
憲法問題調査委員会(松本委員会)が改正案を提出
↓
GHQがこれを拒否し,GHQ草案を提示
↓
これに基づき,再度,憲法問題調査委員会が起草
↓
帝国議会での審議を経て,1946年11月3日に公布
こういう経過から,結局GHQが作ったのではないか,といわれています。
確かに,松本委員会の当初の改正案は,明治憲法の焼き直しで,とうてい受け入れられる代物ではありませんでした。
(仮に,この改正案が通っていたならば,今ごろ,私たち市民が「政府の押し付けだ」と主張していたことでしょう。)
では,これに対抗するGHQ案は,GHQオリジナルか?
違います。そうではありません。
GHQ案の基になった原案は日本人の民間案だったのです。
当時,民間から出された改正案は,実にたくさんありました。
(→HPで一覧を確認できます)
市民レベルも含めた憲法論議が活発化していたことを示す事実です。
そのうちの一つである,鈴木安蔵らの憲法研究会「憲法草案要綱」(1945年12月26日発表)が,間違いなくわが日本国憲法の叩き台です。
ちょっと,その案の一部を見てみましょう
(→解説HPはこちら)(→全文はこちら)
(分かりやすく,ひらがなに変換しておきました)
一、日本国の統治権は日本国民より発す
一、天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る
一、国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す
一、国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げる如何なる法令をも発布するを得ず
一、国民は拷問を加えらるることなし
一、国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
一、男女は公的並私的に完全に平等の権利を享有す
現行の日本国憲法の内容とそっくりそのままですよね。
さらに,もうちょっとさかのぼりましょう。
日本が明治憲法を制定・公布したのが,1889年(明治22年)2月11日です。
現行憲法ができる57年前のことです。
このときにも,数多くのリベラルな憲法案が公表されました。
(→一覧はこちら)
このうちの,1881(明治14)年に植木枝盛が発表した「東洋大日本国国憲法」が,現行憲法,あるいは,憲法研究会「憲法草案要綱」のタネになっているのです。
これも,条文を見て頂ければ,現行憲法の内容とそっくりであることがすぐに分かるでしょう。
一部を引用します。読みやすいように,ひらがなに変換しておきます。
(→HPはこちら)
第四十二条 日本の人民は法律上に於て平等となす
第四十三条 日本の人民は法律の外に於て自由権利を犯されざるべし
第四十六条 日本の人民は法律の外に於て何等の刑罰をも科せられざるべし
第四十八条 日本人民は拷問を加へらることなし
第四十九条 日本人民は思想の自由を有す
第五十条 日本人民は如何なる宗教を信ずるも自由なり
第五十一条 日本人民は言語を述ぶるの自由権を有す
第五十二条 日本人民は議論を演ぶるの自由権を有す
第五十三条 日本人民は言語を筆記し板行して之を世に公けにするの権を有す
第五十四条 日本人民は自由に集会するの権を有す
第五十五条 日本人民は自由に結社するの権を有す
第五十九条 日本人民は何等の教授をなし何等の学をなすも自由とす
第六十二条 日本人民は信書の秘密を犯されざるべし
第六十五条 日本人民は諸財産を自由にするの権あり
第六十七条 日本人民は正当の報償なくして所有を公用とせらるることなし
第七十五条 皇帝は国政の為に責に任ぜず
つまり,今から約130年ぐらい前から,現行憲法の趣旨は,この日本に生まれていたということになるわけです。
この植木枝盛の憲法案と現行憲法との符合については,池田香代子さんの講演で,初めて知りました。素直に,ちょっとした驚きでした。
むしろ,このプリミティブな明治時代の「白紙」からのスタートした時代の方が,
「法の支配」や「立憲主義」
を正しく理解できていたのかも知れないな,と感じました。
さらに,さらに,戦争放棄・戦力不保持の条項については,当時の幣原喜重郎首相の意思に基づいて設けられたものである,ということは,既に常識的に知られていることではないかと思います。
たとえば,「米軍軍事・外交合同聴聞会記録」(1951.5.5)では,マッカーサーが次のように発言したとされています。
「内閣総理大臣幣原氏が私のところにやってきて,こういったのです。『私は長い間熟慮し、信じてきたことがあります』と。幣原氏は大変賢明な老人で、最近亡くなられたのですが,彼は『これは、長い間熟慮し、信じてきたことなのですが、この問題を解決する唯一の方法は、戦争をなくすことです』といいました。」
「彼はいいました。そして『私は,現在起草している憲法の中にそのような規定を入れるように努力したいのです』と言ったのです。私はこれを聞いて思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、これこそ取られうる最も建設的な道の一つだと思う、と言いました。そうしないではいられなかったのです。」
「私は彼を励まし、彼らはこの条項を自らの憲法に書き込むことになったのであります。そして、その憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があるとすれば、それはやはりこの条項でした。」
幣原首相自身も,国会で次のように発言しています(1946.8.27貴族院本会議)。
(分かりやすいように一部口語化しています)
「実際この改正案の第九条は戦争の放棄を宣言し、わが国が世界中で最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。
今日の時勢になお国際関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは、過去における幾多の失敗を繰り返すゆえんでありまして、もはや我が国の学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。
私はかような信念を持ってこの憲法改正案の起草の議にあずかったのであります。」
後の1956年に自民党単独による憲法調査会が設置され,その調査会長となった高柳賢三東大教授も「天皇・憲法第九条」の中で
「憲法9条は(中略)調査会の集めたすべての証拠を総合的に熟視してみて、私は幣原首相の提案とみるのが正しいのではないかという結論に達している」
と断じているところです。
このように,日本国憲法の中身は,古くからの日本人の英知と,当時の日本の市民の良識が源泉になっているのであり,内容については,和製そのものといわなければなりません。
そもそも,日本国憲法の制定手続は,当時の明治憲法の改正の手続きに沿って行われており,また,国会審議は,日本人の手で進められたのであって,形式的な手続きも,適法に進められました。
すなわち,名・実ともに,メイドインジャパンなのです。
どうしてこれが押し付け憲法になるのか。
それは,この憲法を押し付けられて,不自由な思いをする人たちが,気に入らないからでしょう。
憲法で縛られて不自由になる人は誰でしょうか?
それは,権力者(=政府)です。
政府が「押し付けだ!」と言っているということは,憲法が正しく機能していることにほかならないので,とてもよいことだと言えるでしょう。
<転載終わり>
http://tukui.blog55.fc2.com/ より
もしかしたら,お門違いかもしれませんが,少し意見させていただきます。重箱の隅をつつくようなことを書きますので,内容にそぐわなければ,削除されてかまいません。
「100人の村」については,すばらしい物だと思っています。もっとも残念ながら第1弾以降は読んでおりませんが。
さて,5にあります,給食費未納について。あれは市民の抵抗の一つのあらわれというよりも,戦後の教育がめでたく実って「大量生産された無責任な大人」あるいは「粗製濫造された人の痛みがわからない人」によるモノではありますまいか。抵抗とかそういう種類のモノではないように愚考いたします。どちらかというと沖縄の成人式でおそろいの着物を着ている連中と似たモノだと思います。
NHKの料金不払いについては一種の抵抗かもしれません。僕も払いたくないと思ってます。それでも災害の時やニュース,バラエティに至るまで質の高い情報を送り出しているとは思います。(払ったら職員の懐かも,と思うと喜んで払う気にはなれません。)
憲法の問題は大変デリケートな問題だと思います。個々人がよ~く考えなければなりませんね。
内容はあとでゆっくり読みます。
ところで池田さん「100人の」の著者ではなくて訳者だったのでは?
ノリコ
「お金がすべてというような」貧しい思想しか持てず、思いやりのかけらすら持たないように見える人間を作ったのは、「憲法」と「教育基本法」では、絶対ありません。ノリコ
ヒトです。
教育だとか公的なことを私利私欲のために用いた結果だと思います。
無力ではなく微力。染みますが,ときどきとても無力だと思うときがあります。どうにかカラ元気で乗り切っていますが。
ありがとうございます。
作者のところには「池田香代子再話 C.ダグラス・ラミス対訳」とあります。
ドネラ・メドウズという方が、「世界が限界を乗り越えるための働き手の誕生を夢見みて」おり、ご自分が新聞コラムに書いた抜粋を「ザ・グローバル・シチズン」にまとめたが、そこに収められなかった1篇のエッセイがインターネットの海に投げ込まれ、Eメールを通じてサーフィンしたものとのこと。メールを送られて、それに自分の思いを次々書き足していった人々は、生みの母がだれかも知らなかったが、新しい「世界市民」を予感したとも書いてあります。ノリコ
なが~いご意見に引き込まれてついつい最後まで読んでしまった所見です。
1 よく調べられている。
丹念に資料を集められ、よくまとめられている。
2 日本の借金
100人の村に置き換える手法は大変分かり易く説得力がありますね。
日本の国債発行残高は2003年度末には、556兆円となり、国債残高/GDP比率は実に111%となっています。 この異常事態も100人の村に置き換えれば国民もより理解し危機感を共有しやすくなると思いました。
憲法改正賛成論者は、「現憲法は、米占領軍の押し付け憲法である」と主張し、
反対論者は、「明治憲法の改正手続きに則った、正当な憲法である」と主張
両者の主張を聞くにあたかも、日本と韓国の竹島(独島)の領有権に関するディベートを思い起こしました。
日本は、「1905年1月の日本政府による竹島(独島)を島根県に編入するとの閣議決定は手続き的に正しい」等の主として手続の正当性を主張、
韓国は、「1904年の第1次日韓協約、1905年の第2次日韓協約及び1907年の第3次日韓協約という歴史経過の状況下で押し付けられた。」等の主として実体論を主張
手続き論と実体論、あなたはどちらがより正論だと思いますか???
なに、外交に正論などない。。。。ごもっとも。
給食費を払わない人の約7割は、金はあるが払わない人、約3割が経済的に厳しい人との調査結果が出ていました。 健康保険料や年金保険料を支払わない人の調査結果は知りませんが(あれば知りたい。)似たような数字なのでしょうか?
失礼ながら、このような、払えるけれど払わない人が、国のあり方まで考えている人達とはとても思えません。 単に自己中心的、道徳観の欠如した人に過ぎないのではありませんか? この人達が、あなたが望まれる国の形態になったら払うとお思いですか?
まじめに払っている人が馬鹿を見るような社会は、誰しも嫌ではありませんか? この人達は、障害者用駐車場に平気で駐車する健常者と同類と私には思えますが。
経済的に払えるのに払わない人を、あなたは擁護しますか???
この方程式の意味が良く分かりません。
(1) 政府
政府とは、司法、立法、行政の3権の内の、行政府のことでしょうか?
それとも、現在の自民党と公明党の連立政権のことでしょうか?
もし後者だとすれば、あなたの望む政府ができたときには、今度は反対派から同じ批判をうけるのではありませんか?
(2) 権力者
行政府(公務員)は、法律に基づいて公権力を行使するのは当然なのではないのですか? 逆に公権力なくして、行政が可能なのでしょうか???
それとも、現在の自民党と公明党の連立政権を権力者と定義しているのでしょうか? もし後者だとすれば、あなたの望む政府ができたら、公権力なしに何を根拠に行政を行うのでしょうか???
6 小生のコメントもチョト長かったので、お茶タイム
”Where there’s a will, I want to be in it.”
ヒント:willに2つの意味があります。
津久井さん、4月から我が村弁護士会の副会長で、すでにその仕事をしており、忙しそうですが、もう1度ここを覗くよう伝えますね。ノリコ
この下にぶら下がっていくとかなり読みにくいだろうと思いますので、承諾は得ていませんが、あしからず。
ひとつひとつコメントすることはできませんが,私なりの意見というのも,勉強を重ねることによって,また,社会情勢の変化によって,変わってくることもあるでしょうから,参考にさせて頂きます。
ところで,「権力者=行政府」というのが,一般的な理解ですが,立法府や司法府も,時に権力機関となります。
ここで「権力」として問題にしているのは,「国民の自由を束縛する」もっと言えば「人権を制約,侵害する」存在,ということです。そういう意味で議論をしているのであって,「公権力の行使」そのものが悪である,というつもりはありません。
また立ち寄ります。
このコメントの位置が......
でもko-1さんへの答えでもあるわけだから、ここにおいておきましょう。