大往生 by モニカ |
今年も残り2週間となった夜、
父の弟に当たる叔父の訃報が入った。
ついこの間、同じく姪に当たる従姉に叔父の事を尋ねた時は
「元気そうな声だった」と聞いていたのに......。
前夜式と告別式に出席するため、兄と相模原に出かける。
ホテルに荷物を預けて、教会に。
5分遅刻してしまった。白を基調にしたきれいな祭壇があり、
その中央にとてもいい表情の叔父がこちらを見ている。
96才。大往生だ。夫婦仲のとても良いカップルでらした。
男の子3人と女の子1人に恵まれ、それぞれが同じように
幸せな家庭を築いている。
台湾、キールンで生まれ、応召され、衛生兵、通訳として
中国、フィリッピンと回られた。
彼の人柄とクリスチャンということで、
捕虜の人たちにはとても信頼されていたという。
配属が変わって移動する時には、
金網越しに捕虜たちが見送って下さったらしい。
オランダ兵ばかりの収容所だと思っていたので
「英語が上手だね」という叔父に
[We are Australians」と返事されて大笑いした話などもある。
そうそう、子供の頃、犬に噛み付いた話は語り草だ。
戦争中の小さなノートには1000首以上の短歌が記されていたとも。
中には英語で書かれた短歌も混じっているらしい。
そのうちに従兄弟が整理してまとめる予定だとか。
引き上げ後、いろいろな仕事を経て、税務署で定年まで勤め、
その後税理士として、三男の指導を得てコンピューターも
使いこなして90才まで仕事をしていらしたとか。
翌日は12時半から告別式。
前夜式、直前に告別式の奏楽を頼まれた従姉は、
曲選び、初めてのオルガンのストップ選びや、
メモリのない音量ダイアルに神経をすり減らしていた。
母の時にも彼女に、奏楽をお願いしたが、
自宅での葬儀だったし、オルガンもリードオルガン。
広やかな会堂で祭壇の横で弾く奏楽では緊張感も違う。
オルガンは会衆に背を向けた形で前にあり、
会衆の動向が見えないため、献花の時の終了がわかりにくい。
また賛美歌の伴奏をしていると、
何番を歌っているのかわからなくなる心配もあり、
急遽、私がアシスタントとしてオルガン横に座る事になった。
14時出棺。乗ってもせいぜい30分と思っていたら、
何と高速道路に入っていく。
「ヘェー、神奈川県って、遠い所にしか葬祭場がないのだな」
と思っていたら、どんどん都会に。
途中「トイレに行きたい方はありませんか?」
「トイレ休憩を取るなんて、どんなに遠くにいくのかしら?」
直系親族以外は、不思議な顔。思い切って尋ねると
「葬祭場が一杯で品川の桐ヶ谷に行きます」............!!
桐ヶ谷は2年前の荻窪の大叔母と同じ葬祭場。
関東で出席したたった3件の葬儀
(30数年前の祖母と2年前の大叔母、そしてこの叔父)なのに、
この確率。とても考えられない話。
窓の景色はどんどん都心に。
高速の渋滞を避けて、早めに降りたため道路標示には
いろいろ聞き馴染んだ地名が現れる。
二子玉川、自由が丘、大岡山、柿の木坂、荏原、etc......
兄は2つ目の母校である都立大の前まで通られて、
言葉もなかったらしい。
桐ヶ谷では全く同じ所でお参りを済ませることになる。
終了後、そのまま帰宅する人のために目黒駅へ。
大叔母の葬儀のあった駅前のお寺周辺、
泊まったホテルなどの前をぐるりと回って、帰路につく。
ふと見ると東京タワー。
電気のついた生の東京タワーを見るのは初めて。
アークヒルズ、六本木ヒルズなど、まるで夜の東京観光。
帰りは1時間位で教会に戻れたけれど、帰着時間は5時半過ぎ。
みんなで、「叔父さんのナイトツアープレゼント」に感謝しながら、お別れをした。
戦争、引き揚げを挟んだ96年の生涯。
私たちの思いだけでは計り知れない物があったと思う。
今頃は天国で、両親に当たる祖父母や、父たちとお話をしている事でしょう。
オルガンは電子よりストップついたリードのが好きです。電子とリードのは別の楽器だと捉えています。
電子とリード、おっしゃるとおり、これ全く別物です。
この教会のオルガンは、鍵盤の底で音がなるため、上で音のなるオルガンばかり触っていた従姉はびっくりしていました。
触ってみると本当に鍵盤が沈んだ底で音が鳴りました。
従姉は奏法まで変えなければならず(変えないとみんなノンレガートというか、音が切れてしまうのです)、びっくりのオルガンだったようです。
来年にはこの教会にもパイプオルガンが入るそうです。
我が家のリードオルガンは部屋の隅に押しやられて、鳴らない笛(きっと掃除したらなると思いますが)があったりして、かわいそうな待遇を受けています。.....