大手拓次の世界 by マサコ |
大手拓次は、人との付き合いを好まず、いつも一人でいたという。一人でいる方が、人から邪魔されずに幸せだったのだろう。鋭い神経に鈍い心の人たちとの関わりは、重荷になったのではないか。
共感覚は、目、耳、鼻、手触り、舌、と人間の五感が混じり合う感覚で『脳』を理解すれば、ごくあたりまえのことが起きているに過ぎない。耳や目は、脳の突出した部分だし、手にも脳細胞は山程来ている。
共感覚者の親分はナボコフだけど、世界的に読者の少ないナボコフは、共感覚研究者たちからも無視されている。というよりは、誰もナボコフを読んでいないから、彼が共感覚とは知らないだけだ。
ナボコフはアルファベットに色が見える。比類なき美しさの色たちである。
大手さんは目というよりは、鼻中心の天才だから、少し違うタイプと思う。
共感覚は、近年、少しずつ脚光を浴びている。
大手拓次は、まぎれもない共感覚の持ち主である。
映画にもなった「香水」の原作者ジュースキントは「嗅覚」を中心とする共感覚者であることは間違いなく、大手拓次の鋭敏な嗅覚もジュースキントが描くところの主人公に劣らない。
ボードレールの「悪の華」が一世を風靡出来たのは、ボードレールが共感覚を持っていないためと、私には思われる。そのくらい共感覚者と共感覚を持っていない人の世界の差は大きい。しかも世の大半の人々は共感覚ではないから、同じく共感覚でない作品はすぐ理解出来る。人間誰しも自分に似た者、近い者しかわからないからだ。
聞くところによるとボードレールは自分が共感覚の持ち主でないことをよく知っていて、共感覚のある人をうらやましがっていたそうだ。
共感覚の親玉というべき、プルーストの母が「ボードレールは半分だけ好き」と言っていたのは、おそらく、息子のように共感覚を持たないボードレールが半分しかおもしろくなかったのだろう。
先日、大手拓次の詩を80代の方に読んでいただいたら、「難しくてわからない。私の頭の程度は金子みすゞか山頭火あたりだから。しかし、ボードレールを超えている詩人」と学生時代に「悪の華」を持ち、教師にとがめられたことをおっしゃった。
拓次の詩が誰にもその真価を認められないというのは、日本人全体が人と違うところのある人を受けつけようとしない上に、共感覚的人物を育てたり、励ましたり出来ない民族であるところも大きい。
2. 霊的資質
大手拓次は、常に4次元を言葉にしようとしていた気がする。人が目に見えないけれど感じるところのものである。
詩人としては、一番むつかしい仕事と思うが、大手さんは不断の努力で、天からのものを地上に、あるいは地上のものを天に渡す繊細さで、詩業に取り組まれたことと思う。この点において、ピアニストの田中希代子さんと酷似している。
大手さんは「バラとヘビ」の詩人かと思う程、バラとヘビの詩が私の心に残る。バラはともかく、ヘビには少し閉口するけれど、「一体全体、どこでそんなに見たの?」と聞きたくなる出来映えで、なんだか恐ろしくなるのだ。
ヘビは、お金と性にまつわるシンボルともいわれる。実は、大手さんは、お金持ちの家に生まれ、実家が温泉旅館を経営していたことから、幼き日より 部屋伝いに男女の色事の波動を受け取っていたのではないか?
大手さんの詩は、清純だけど、どうにも色っぽい。竹の葉が幽かに風に鳴るような色香を感じる。つまり、実際、野原や道端で見たヘビたちではなくて、子供の頃、両親や家庭の健全な愛情に守られなかった少年が、何かを感じて、彼の心の世界に創ってしまった蛇のような気がする。
拓次の詩に「滅びの緑」を見る方がいらしたが、私にとって大手さんの色は、消えていく前の色に過ぎないので、滅びの色は見たことがない。
私は大手拓次の世界を、「陰気にならず、明るい気持ちの穏やかな、美しいものに絶えず憧れた少年詩人」のように受け取っている。
人の魂が滅びず、永遠に向かって走るような軽さしか感じていない。我々のつかの間の苦労多き肉体生活を支えるために、天が地上に贈った詩人である。
3. 田中希代子さんとのデュエット
私は詩人について夢想する。
歴史や運命に「もし」ということはないのだけど、
拓次が、もし、パリに行ったことのある藤村や光太郎、そして春夫のように中国詩から見事に邦訳のできる、とにかく自分の詩を書いているだけで精一杯の連中とは違う文学者や美術家の支援を受けていたら、......と空想せずにはいられない。
フランスに縁のある音楽家の田中希代子さんが、日本生まれではなく、ユダヤ系ヨーロッパ人であれば、もっと世界の楽団を楽に渡ることができたのでは?とあらぬ想像に時を過ごすのと同じ類いの遊びかもしれない。
うら若き山本安英さんに、「夕鶴」を見た天才詩人は、田中希代子さんの音楽にどんな詩を存在を確認することだろう。
お二人の詩と音楽に包まれて、日々を重ねることに、
深い感謝の念を捧げる。
ふるへるやうな音色である‥
いつの時代も、繊細な人は生きにくいですね
遅レスごめんなさい。
大手さん、日本語の基礎がしっかりしていますね。
表現が特異すぎて、日本人には受けないのでしょうが、
大手さんの詩でしっかり日本語を学べば、他国の言葉も学び易いのでは?
大手ファンからのコメントはとても嬉しいです。
評伝ではロングセラーの田中希代子さんなのに、こうしたネット交流は皆無。
ファンであると公言されている有名人は私の知る限り美智子皇后と美輪明宏さんだけ。
ともあれ、今は高村光太郎の「新緑の頃」。
「あゝ、植物は浄いと思ふ」を実感しています。
コメントありがとうございました。
コメントをありがとうございました。
大手拓次は孤高の人ですね。 独自の感性と表現力を持っています。
特に敗戦後の日本には、 自分の報告をすることを詩だと思う流行があり、
大手拓次は全く無視された読まれない詩人です。
普通の人の想像を超えるものを感じ取っていたのでしょう。
そんな中に大手拓次は愛する方がいてくださるのがわかり嬉しいです。
特にお好きな詩があれば、教えていただければ幸いに思います。
マサコ
HP拝見して、プルースト、ニーチェ、グールドと、私の大好きな方々の名前も見え、大変嬉しく、また勉強になりました。ありがとうございます。
私は、そよぐ幻影が一番好きです。
コメントありがとうございました。
「そよぐ幻影」、読みました。
長い間この世のゴタゴタに振り回されて、 大手拓次さんの世界を忘れ去っていたように思います。
私にこの詩を思い出させてくださってありがとうございました。
プルースト、ニーチェ、グールドがお好きとのこと。 大変嬉しく思います。
ゆりはさんから初めてコメントをいただいた日、
大好きなパルティータ6番の新しい演奏に触れました。
グールド最愛のパルティータでした。
演奏者はローマで交通事故のために急死したチアーニというクロアチア人のピアニストです。
良いことが二つ重なった人生で最良の日となりました。
大手拓次さんの事を「綿々として付き合いきれない」とおっしゃる方もいらっしゃいますが
欲なく生きる人間の魂の世界をよくご存知でいらしたと思います。
欲があった方がいい面もありますけれども
今の人類は自分が死ぬということですら忘れ去っているような気がしますね。
新緑の頃をのびのびと楽しくお過ごしください。
それでは、又の時まで。
マサコ
マサコさんのテキスト読ませていただいて、プルーストのことも、考えさせられました。音楽もお好きでいらっしゃるのですね。とても繊細な感性をお持ちなのだろうと思いました。
大手拓次をその様に評する方もいるのですね。長所は短所というか。。自分の作る詩を何より大切にした人と考えています。
死ぬことも忘れてしまいそうな永遠を感じる5月のでした。しかし、いつか必ず訪れてくるのですよね。
研究会に入ってみたいなあとぼんやり考えました。会報花野読んでみたいです。
マサコさんに素敵な6月が訪れますように。
いつも素敵なコメントをありがとうございます。
大手さんの実家は旅館で、 生糸のことでフランスから泊まり客が多く
拓次はフランス語を覚えたそうです。
言葉に関心が深く、 ロシア語の聖書も持っていたそうです。
絹織物の本場で生涯、絹以外のものは身につけなかったそう。
ご両親は旅館経営の下積みの仕事でくたびれ果てたのか早く亡くなり、
家庭的にはあまり恵まれませんでした。
研究会には10年前に入り5年前に辞めました。
日本の詩人では、吉増剛造さんが大手拓次をよく理解なさり、
「大手拓次の詩は人に見せることを意識せずに書いた詩」
と言われ、成る程と思いました。
大手さんは世渡りが下手だったし、 あの時代に独身だったので、
随分な目に遭っておられるような気がします。
心の綺麗な人からは彼の心に似た綺麗なものを引き出し、
心の汚い人からはそのまま汚いものが出てしまう。
そういう触媒的化学物質を持つタイプに思えます 。
ご自身の質は少しも変わりませんが、
影響を受ける人々の中に急速な変化を与える。
苦難をくぐり抜けても東大寺の大仏さまのように
おおらかな微笑みを持っていらっしゃいますね。
マサコ
吉増剛造さんの講演を聞きにいきたかったのですが、日程あわず残念でした。よき理解者なのですね。
大手拓次の詩は、彼自身ためにまず書かれたような気がしています。ひらがなの柔らかい印象はありますが、形などは一定で頑強ですよね。どのようなものにも影響されない強さがある気がします。
マサコさんに色々教えていただいて、大手拓次の詩を知れてよかったなと、改めて感じました。またサイト訪れさせていただきます。ありがとうございます。
大手拓次さんは、 詩人でありながらライオンにお勤めでした。
会社勤めもこなせる堅実な方でした。
ゆりはさんの仰るように自分のものを曲げずに人からの影響を受けることはなかったでしょうね。
2,378篇もある作品の中には、 北原白秋に似ているものもあります。
あんなに拓次が慕っている芸術家だったから。
私には萩原朔太郎、北原白秋と大手拓次さんの関係は微妙に思えます。
地元の人としては、拓次と朔太郎は仲の良い仲間として、 また北原白秋と大手拓次の関係を綺麗事にしておきたいのでしょう。
勿論、そんな瑣末の事は、どうでも良く大手さんの世界の美しさに触れればいいわけですが。
人々の心の汚れはこの世に生きる人間、皆に降りかかり、 それぞれに色々な受け取り方がありますね。
マサコ
大手さんの作品が広く知られていないことは残念ですが、人に知られずともじっと詩作を続けた人が100年前にもいたというかわりのない事実は心を温めてくれるようにも思います。まず何より、詩を作ることは、大手拓次にとって心の拠り所だったように感じます。
私の拙いコメントにお返事くださってありがとうございます。色々教えていただいたことに心より感謝します。
コメントをありがとうございました。
大手拓次さんを想う時、私の大好きな音楽家の田中希代子さんを思い出します。
田中希代子さんは、アルゼンチンのコロン劇場に招かれるほどの音楽家でいらっしゃいました。
ところが中村紘子さんの先生は「あんなの茶の間の音楽」と評し、
そこの門下生は彼女のリサイタルに行くのも自由でなかったそうです。
人が優れているのを理解せず、愛すこともできない。
それとも気付いているけれども、しゃくにさわってたまらなかったのかしら。
残念なことに敗戦後生まれた人々は、
敗戦後の詩人の洗礼を受けてしまいました。
日本人にとって最初のピアノ音楽が中村紘子さんになったように。
私は病気で学校にも通えない一人ぼっちの時、
家で明治・大正の詩人に最初に触れました。
そのおかげで、第二次世界大戰後の日本の詩人の作品の多くは
「詩じゃない」と思いました。
でも恐ろしくてそんなこと言い出せない。
その後ニーチェ哲学がお好きだった哲学者・池田晶子さん
(早くに亡くなられました)が、 お坊さんとの対談で、お二人で
「あまりにも酷い現代詩」とおっしゃっていたので安心しました。
マサコ
田中希代子さんの演奏はまだ聴いていないのですが、とても聴いてみたくなりました。
病気でお身体が大変なときに詩を読まれたのですね。私はあまり身体が丈夫ではないのですが、大手拓次も身体の辛ささしんどさや敏感なところがあるからこそ、人には見えないものが形に出来たのではないかと思っています。
天が地上に贈った詩人というマサコさんの言葉、とても的確だと感じました。
私は不勉強なもので、現代詩人はほとんど読んでいません。明治大正を中心に日本の詩を読んでます。私は詩には美しさや感動を求めているので、イデオロギーや思想に染まった詩は好みません。現代詩にもきっと美しいものかわあるのでしょうが、私にはまだ見つけられておらず、残念に思っております。
リンク先を訪問していただき、ありがとうございました。
ゆりはさんのおっしゃる通り、
身体が弱いことは、芸術に不可欠の気がします。
「人間は、身体の弱った時に持つ心が、本当の良心」
という言葉があります。
田中希代子さんも身体の弱い方でした。
留学先のパリに着いてすぐ、発熱し、「結核」と診断され、
サナトリウムに入り、異国で一人で手術を受けられました。
18才の少女が言葉の不自由な海外で、それも今のように通信ができない時代に、大変だったことでしょう。
そのあとは、35才で膠原病になられ、演奏を中断されました。
その幽妙な指先は、鋭い脳細胞を表わし、誠意ある心がけは、
カレン・カーペンターのように完璧主義者でいらしたことでしょう。
1996年に亡くなりました。
8歳からファンだった私は、悲しかったです。
そのひたむきな姿に、詩を書いていらした大手さんに共通する資質を感じます。
昔、谷川俊太郎さんがブログで、質問を受け付けてくだったことがあり、
「本当の詩と、詩でない詩は、どこで見分けるのですか?」
と質問したことがあります。
お返事はありませんでした。
何気なく、ご自分の思いを綴った文章や詩に、
人生の深い味をいただくこともありますね。
食べ物では、化学物質に汚染されていないものが、
本当の食べ物ということかしら。
紫外線が強いこの頃、どうかご自愛ください。
マサコ
美しい詩は心の何よりの栄養になるように思います。
また拓次の素晴らしい詩に会いたくなったら、こちらに訪問させていただきます。
様々ご教示いだだきまして、本当にありがとうございました。
お忙しい中、たくさんのコメントをいただき、
とても楽しい時間を過ごすことができました。
又いつでもお訪ねくださいね。
ありがとうございました。
マサコ