カマスゴとポピー by 原真砂子. |
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2004年 08月 05日
タグ:ナボコフ ←クリックで記事一覧へ 私の住む町では、イカナゴの成魚を「フルセ」と呼んでいる。 このフルセ、三重産は「カマスゴ」と呼ばれて市内に出回る。 カマスゴは、柔らかでつぶれやすい。その割れた腹から、卵や白子がそれぞれに春らしい色(サーモンピンク系)でシックな魚が芸術品に見える。 1月の三重県からのカマスゴは子持ちで、本来産卵前は獲ったらいけないはずなのだが、この時期の親魚は、水産試験場が資源量と成熟度を調査し、解禁時期を決定するために、漁業者に依頼して「試験曳」を行っているものとのこと。 関東では「小女子」、仙台・宮城地区では「メロード」、英名は「サンド・イール(砂のウナギ)」と呼ばれる早春魚を柚子の果汁をたっぷりしぼりかけて、そのまま食すると、遠い日の思いでとの差異にしばしば時を忘れる。 私が子供だった頃、フルセは魚の匂いを嫌う母のオカズのひとつだった。 酢醤油を入れた容器を用意して、練炭を入れた「七輪」の上の金網に、店で買った釜あげされたフルセを並べる。母は、「よく焼き上げて、つけ汁につけた時ジュッという音がしたものが美味しい」という。 油ののったフルセは、焼くとその油がよく火に落ちる。 その度に炎が、練炭が、音を発する中で、フルセを黒こげにしてはいけないし、生焼けでは母の好む「ジュッ」という音は出ないので大忙しだった。 我が家ではこんな苦労をしてフルセを食していたのである。 店売りの釜茹フルセをポン酢やショウガ醤油で美味しく簡単に食べる事が出来たのに、なぜこんな手間をかけたのだろう? 雅量の狭い祖母の「こだわり」だろうか? それとも他所者だった祖母か母が、地元の人に習った調理法だったのかもしれない。今となってはわからない。 ともかく、油ジュージューのフルセは滑りやすく、しかも潜り込むにはうってつけの穴の多い練炭だから、穴をめがけて金網の目やお箸から逃げ出して、潜り込んでいく。 そうなると長い菜バシを燃え盛る火の中に入れて、そのフルセを拾い上げなければならない。魚もハシも黒こげのイメージがある。いやそれよりも網の上で、燃え過ぎるフルセも多かったかもしれない。 「釜茹フルセ」はそんなに臭みがないのに、このオカズの時は、酢醤油がしみ込むように早く準備を始めて〈二度焼きするため〉、しかも少し熱く(あたたか味程度)ないとおいしくない。 したがってお弁当のオカズに入っていたことはなかった。 母としては「カルシウム」をねらって、子供達に食べさせていたのかも。焼き役が兄なら、フルセが食卓に辿り着く前に兄の腹の中に全部納まっただろう。 平成不況の日本は物が売れなくなり、あちこちで価格破壊が始まった。 「カマスゴ」は老人の私にはちょうどいい量が100円で、しかもこの壊れやすい小魚は四角のビニールザルの上にのっている。捨てるには勿体ないザルを見ていて、その活用法を考えたくなった。 ある園芸家は、卵ケースを開いた形にして前もって底になる部分に穴を開けておき、種まき用の床にするという。移植可能の小さな苗、コントロールしにくいすぐ厚播きになるような種の種類に、このザルはどうだろうか。 生まれて初めて、「虞美人草(ポピー)」の種を播いた時、私は困惑してしまった。 ひと袋で100本から120本の種は、今まで手にしたどんな種よりも意のままに地面に落すことが出来ない。 そこで、重なりあうように発芽した苗を大きめの小鉢60個を用意した場所に植え替えると、ナント、まるで亡命者のように新しい土地に馴染めず、一つ、また一つと消えて行った。 ところが、例外はあるもので、10余りが残る。しかも3本ぐらい束になって成長してくるのだ。 それを今度はまた地面に植え替えた時、どんな根をしているのかと眺めた。移植を嫌うスイトピーの根とは全く違った細い雨のような根が、春雨を切ったように一杯伸びている。 種袋には、間引くように書いてあるが、勿体なくて、どれか1本に出来ないまま冬が過ぎて行く。直播きのまま苗になっているものもスコップで数本ごとに広い所に移す。 この作業は、私につくづくと移住、移民を思い起こさせた。 人間も土着の根深になると他の土地に移ることは困難になる。 移った先の土地がその植物(人間)に合うか合わないかで、消えるも花が咲くも自由自在になる。 もしも日本が攻撃されて、安全な国に逃げるとしても、私が2才から28才まで、36才から16年も住み続けた土地を離れると、この苗のようなことになりかねない。 私は7年住んだカナダで、日本にいては到底得ることのないチャンスに恵まれたが、もしも行き先が英語圏で、私の知人・友人が残っているカナダであるとしても、異国で生涯を暮らすその苦しみはどんなものになるだろうか? ビニールの網の目をくぐれそうな細い根のポピーの様子に、自分の根の種類を想像する。そして1919年にロシアを永遠に去ったナボコフが、ヨーロッパを転々として1940年には、アメリカに渡り、「ロリータ」の収益による経済的安定で60代は再びヨーロッパに戻り、スイス、モントルーのパレスホテルで暮らした、その波乱の人生にナボコフは一体どんな形の根を持っていたのか見てみたい気がするのである。 ********************************************
by grpspica
| 2004-08-05 17:24
| グループスピカ
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