旅のきっかけ |
今回、奄美を訪問することになったのは、
日本国政府が、私の納めた税金を定額給付金として返してくれたこと、
そしてJALの定額給付金割引で片道航空券が1万2000円でゲットできたから(ただし行きだけ)、
ではない。
お墓の処理のためである。
4月か5月ころ、お墓をどうするか、が話題になった。
つまり、私たち原家には次の世代がいない。みな還暦前後となり、何かと整理しなければ。
ところで墓地には母ひとりが入っている。
もともと母は、某宗教団体の「お墓は作らない」との考えに共鳴して、それまでタンスにおいてあった祖父母の遺骨を教祖の指示どおりに処理していた。
その後、父が亡くなったときには、教祖の指示どおり、遺骨を引き取らないという方法で対応した。
その本人が、兄夫婦が作ったお墓に入ってしまったのである。
協議の結果
兄:「墓はいらない」
兄の妻:「私の母と同じお墓に入りたい」
ノリコ・モニカ・マサコ:「お墓はいらない」
墓地は市に返却するとして、母の遺骨の行き先をどうしよう。
例の教祖とのご縁はきれているし、墓地を返すには遺骨は引き取らなくてはならないし・・・
そうだ散骨という方法があるではないか。
ネットで調べた。
自己所有地あるいは海であれば、散骨してもいいらしい。
そうだ奄美には祖父の山がある!
あそこは自然がきれいだし、当分開発されないからいいんじゃない?
2009年7月1日、山に行って、細かく砕いて砂のようになった遺骨をまこうとしたが、なんとなく草むらを踏んで、2m位の崖を登って山に入りたくない気がする。マムシだって出てくるかもしれないものね。
そこで龍郷湾に遺骨を流したのだった。量は大さじ1杯程度で、砂みたいな状態。
(*1日のブログの写真は散骨するノリコ)
祖父が子どもの時に泳いだであろう海。
海なら、1945年4月1日、阿波丸に乗っていて戦死した母の兄とも繋がるだろう。
そして子ども達は海を見るたびに母のことを思い出す、多分ね。
ママが「この山に私をまくのは止めて」って言ったんだよね。
だっておじいさんの山ではなかったのだもの。
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