消えた香雪記念病院 by モニカ |
今から、40年前のこと。
マサコさんの身体がどうにもならなくて、
やっと治してもらえると入院した病院。
山崎豊子氏が「白い巨塔」の執筆中こもっていらしたとか、
有名人の雲隠れに使われていたとかきく病院。
(盗作騒動の時だったと指摘を受けました。私の勘違いでした)
1969年には「BCS賞(建築業協会賞)」を受賞した建物。
建築主は朝日ホスピテル株式会社だったそうだけど、
「朝日新聞社の村山さんの病院」としか記憶にない。
『ホスピテル』とはよく表現されている。
病院と言うイメージからは程遠く、
行ったこともない高級ホテルの様な...という覚えがある。
同じ病院と言っても、こんなに凄い所があるんだと
びっくりさせてもらった病院。
記憶に違いがなければ、ナースも真白ではなく
薄いピンクの柔らかな雰囲気の制服で、
最上階にはレストランがあり、アイスクリームがおいしかった。
先日、偶然、その近くを通り、急に思い出した。
帰宅して、あの病院はあの辺りのどこだったっけ...と検索。
「香雪記念病院」と入れれば、バキーンと出てくると思ったのに大違い。
1、2つ記事以外、HPも何もない。
やっとわかったこと。
2002年に「西宮協立リハビリテーション病院」に変身。
立派な建物ものも、だんだん古く、使い勝手が悪くなり、
売り手と買い手の話し合いで、外側を残して中を大改修。
新しい病院としてオープンしていた。
建築家と共に考える:リハビリテーション病院
ほじれば、いろいろおもしろいお話が出てきそうなのだけど、
ネットにはほとんど何も記されていなかった。
このままでは、あの病院も人の記憶から消えていく運命....。
まあ、知る人が知るだけでいいのかも知れないけれど。
マサコさんの日記「香雪記念病院の思い出」へ
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よくあんなひどい状態があったなと思うけれど、
今だってたいして変わっていない....。
小沢院長に「お母さんがいいから、子供がよく育つ」と褒められた。
母が60才で亡くなったのは、私を育ててくたびれ果てたせいだと思う。
病院では毎晩、枕元でグールドがピアノを弾いて下さった。
身を削って生きた人々は長生き出来ないのかも知れない。
三叉神経痛のひどい痛みに、そのころはハシリであった痲酔による疼痛治療を受けるべく入院したのだけれど、後遺症を聞いて逃げ出したのでした。
山崎豊子さんの執筆と有名人の雲隠れについての私の記憶は、「盗作問題で山崎氏がここに雲隠れした」というものです。人によって記憶の違うところが面白い。ノリコ
霊媒師っていうと、何か霊が乗り移って、その人の身体を借りて語り出すというようなイメージ。
対して霊能者は、
『霊能者(れいのうしゃ)とは、霊的存在や霊的世界と接触・交流する能力(霊能力)を持つとされる人物』(wikipedia)という感じ。
お世話になったA夫人は後者だったと思う。