金閣寺 by マサコ |
ロシア語講座のスキットに金閣寺・龍安寺が登場した。
金閣寺といえば三島由紀夫の小説がロシアでも訳されていて有名らしいけど、私は三島とは相性が悪い。唯一の接点は三島がニーチェのことを「本質的に耳の人」と言ったことだけだ。
昔、母が「金閣寺は頭の狂った人が焼いた」と教えてくれた。
TVでそのいきさつが詳しく紹介されて、私にはショックだった。
檀家20軒しかない貧しい漁村のお寺。父親は肺結核で亡くなり、母一人子ひとり。英才教育の末に修行僧として金閣寺に入る。
都に来れば、大変なお金持ちを見ることもあり、自分よりはるかに頭のいい人たちに囲まれてしまう。八方塞がりによって彼は追いつめられたのだ。
金閣寺は彼のあこがれであり自己投影の対象だった。それをマッチで火をつけてしまった。
男性のコメンテイターたちは、こぞって母親の過剰期待、金閣寺は彼にとって母親であり、それを焼いたのだと言う。
こどもに「金閣寺」となってほしいという願う親、そんな母親が多い現代にも通じる話である。
家事を切り盛りする仕事は大変でも家の中では天下が取れる。ところが母親にとって、家事はして当たり前、しょうもない人のする仕事としか思われない。
「母親が認められるのは、いい学校に入学させて、華々しい職業につけたときだけ」、自己表現の場が、子どもか孫の自慢しかない、という多くの主婦がいる。
自分が期待していたものになれなかったことについて、私には、どうもピアノのことがひっかかる。
私の生い立ち、自分自身の夢が育てた心の葛藤だろうか?
金閣寺に放火した修行僧は、凶悪だった訳ではない。誰にもある心の底の思いを誰かに知って欲しくて火をつけてしまったのだろう。
「金閣寺は焼けてもいいけれど、あなたが焼けなくて良かった」と言ってくれる人を求めていたのだ。
今、田舎のお寺には誰も住んでいない。
事件後の1955年修行僧もまた結核で亡くなった。
事件直後、警察に事情を聞かれた母親は「あの子が真っ黒になればよかったのに」と言い残して帰りの汽車から飛び下りた。
「君は君のままでいい」
こんな丸ごとの愛情を、どれだけの人々が得ることができるだろう。
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