青春旅日記 その2 by 青丹彩 |
M(神奈川)ー沼津
伯母が7時に彼を起こすと、彼は、いつもと同じ様にすぐに、目をさました。
「叔母さん、また雨?」 彼は問うた。
「いいえ、空は曇っているけど、降ってはいないわ。」と彼女(日本語においてはたまたま誤解を生じる言葉である。)。
(青丹彩注:当時の私は、母やこの伯母から呆れ返られるくらい寝覚めが悪かったからです。「目が腐ってしまうよ」と言われるくらいよく寝る青年でした(今では、目覚まし時計無しで毎朝6時には起床しています(笑))
彼は今日は、雨が降っていても、小降りならば、挙行するつもりであったので、ためらわず出発。
午前8時である。
馬絹に出るまでの道の悪さ。靴、靴下、ズボン、泥だらけ。
三日間伯母の栄養豊富な料理を楽しみ、英気を養っておいたので練習の時(?)の厚木街道とは全て違って、彼は快調に飛ばした。
約2時間で厚木。
彼が中学生時代であったか、自動車を主役にしたラジオ番組であったと思った。それには厚木という地名が頻繁に出てきた様に彼は記憶していた。その記憶には間違いがなかった。厚木は自動車工場の町である。自動車工場といっても整備を主としている。
厚木を通過すると伊勢原町を抜いて秦野市に向ったが、秦野市の手前には、急坂が可成り長く続く。これらの坂は、彼の健脚(?)によっては無理であった。
懸命にペダルを踏みつづけていると「ガンバレー」「ガンバレヨ」という声が数多く聞こえた。確か“矢倉沢4km”という道路標識があった。そこの中学校の窓である。彼は笑顔を以って答えんと試みた。しかし人の目にはあわれな苦笑としか写らなかったに違いない。
その学校を過ぎるとトンネルがあった。初めてのトンネルである。自転車では枠なしである。車のエンジンの音がこだまして実にやかましい。流行のエレキよりもひどい。
午前11:30松田着。きれいなドライブインを見つけて、彼はハンドルを可成りきつく左に切った。少し早いが昼食である。そのドライブインの側を恰好良く通過するのは小田急である。「新宿」と書いてある。懐かしい。彼は心の中でつぶやいた。
『東京の皆によろしく』。 1時間の休憩の後、出発。これからは御殿場まで、ずっと登り道。
神奈川県と静岡県の境いの町、山北町(神奈川)、やけに単純な名前だが、彼には気に入った。名前が気に入ったと思ったら景色もまた素晴らしい。
渓流が彼の進行とは反対の方向に流れ、その渓流に鉄道が、かかっている。御殿場線である。山には、前日の雪が、まだら模様を描いている。彼はシャッターを切った。
(編集者注:ここに載せるべき写真を青丹彩氏に依頼中です)
カメラをしまった。そうして休憩していると、白い煙をはきながら、山中(やまなか)のさびれた村を、山はだをぬい,渓流を渡り、懸命の奮闘を続けて、汽車がきた。しかしカメラをとりだす時間はなかった。これは、彼にとって非常に残念な出来事であった。
御殿場の手前でも、自然の地形は、彼をして、自転車をおりることを余儀なくさせた。汗びっしょり。雫が眼鏡にポタリポッタリ。しかし間もなく頂上。先日BOAC機墜落による遺体を安置した大乗寺をさがし乍ら緩慢な傾斜を下る。
山中のことなので、空気は極めて冷ややかであった。ペダルを踏むことなしに下っていると、大きな震えが、しばしば彼を襲った。近くのドライブインにころげこみ、熱いコーヒーを飲み、ストーブにかじりついたがさっぱり効果はない。
こうこうしながら16:19沼津市に突入。16:30S邸到着。
青春旅日記その3へ
日記その1へ