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2004年 10月 01日

ニーチェヘの手紙1~5  by 原 真砂子

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長いまえおき2001年1月4日
 
19世紀の哲学者、ニーチェと20世紀の音楽家グールドが思想的にどれほど結びついているのか。世界の楽壇でもっともユニークな存在であったグールドが、ツァラトゥストラの面影を宿した芸術家であることは、ハイティーンの頃から気づいていました。すべての発端は、私が15才の時に、ゴルトベルクを弾いて、グールドの気を引こうとしたからなのです。
幼い時からの身体的な苦しみは20代も続き、いい状態を知らないから「健康」と思いこんでいましたが、ピアノの練習や英語の勉強はできない毎日でした。語学力がないためにグールドに手紙も書けません。

グールドは1982年の10月4日にあの世に旅立ち、私の1番のショックは、もう「ツァラトゥストラ」やニーチェに対するグールドの意見が聞けないことでした。
1986年の12月、父親のラッセル・ハーバート・グールド氏に会った時、私の英語力では話が曖昧になるので質問しませんでした。

S先生、こんにちは。

夏体みをいかがお過ごしでいらっしやいますか?
数カ月前、このサイトのことを知りました。
私はニーチェの研究者ではありませんが、ニーチェについて、特に「ツァラトゥストラ」のことを語り合うことが私の長年の夢でした。17才で「ツァラトゥストラ」に触れてから、人生の大部分がニーチェへの関心で占められてきました。
生活という実践の場でニーチェの「超人思想」と「永劫回帰」に励まされて、ニーチェが人の心に光を投げかけているのを見つけるのが楽しみとなっています。

今日は、ある曲の中に感じた「永劫回帰」とある演奏家の中に見い出した「ツァラトゥストラ」の面影について書きます。
バッハの「アリアと30の変奏」一深遠なる音楽的かつ人間的記録一は、1742年に出版され、バッハの弟子ゴルトベルクによって演奏されたことから「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれます。
変奏曲として珍しい例ですが、主題のアリアが最後にもう一度登場します。これを「回帰のアリア」「再生のアリア」、「潜在性の実現の結果」「始原への回帰」「あらゆる音楽の中で最も崇高なる瞬間」と表現する音楽家がいます。

私にとっては「時の円環」「輪廻転生」「自らが1つの点ではなく、ある円周の1部」であると体感出来る。直線的に進んでいる時間がくるりと地球を回って背中から戻って来る。バッハとニーチェのドッキングで、まろやかな法悦を感じるアリアです。

1955年にこの「ゴルトベルク変奏曲」でレコード界へのデビューを飾ったカナダのピアニスト、グレン・グールド(1932一1982)。グールドは32才の時にコンサートを止めてスタジ才録音のみに専念しました。彼はコンサートホールに来る何千人という人々(民衆)相手ではなく、マイクロフォンの向う側にいるただ一人の聴き手(伴侶)に音楽を届けたかったのです。

「ツァラトゥストラ 序文9」には、グールドの音楽精神と演奏家としての思想が溢れ、「ツァラトゥストラは民衆に語るのではなく伴侶たちに語るのだ」「創造する者が求めるのは伴侶。新しい価値の表を新しい板に書き記す創造の参加者である。己れの鎌を鋭利に研ぐことを知っている者」などニーチェの言葉によって言い表わされます。

グールドは、新しいバッハ演奏を音楽界に送り込み、死の前年の81年には、「ゴルトベルク変奏曲」を再録音しました。

バッハとグールドとニーチェは音楽と哲学で人類に財産を、(バッハは作曲で人生哲学と宇宙の神秘を、グールドは独自の解釈で超能力者のように演奏を通してニーチェの思想を)残したのです。

S先生
 お返事をありがとうございます。

1981年に撮影されたグールドのゴルトベルクをバックミュージックに書いています。
ブゾー二は彼の校訂した楽譜の前書き(1914年)でゴルトベルクのテーマは、「アリアの右手パートではなく、左手のベースにあると指摘している」とのことです。これはピアノの先生が教えて下さったことですけれど。

ブゾー二はアリアの左手のテーマとその変奏を10曲程譜例として載せています。
シユーマンの「アベッグ変奏曲」のようにAB(♭)EGGのメロディーが鮮やかに表れませんね。だから最後にアリアをもう1度弾くのでしょうか?

「『ゴルドベルク変奏曲』はグランド・バス(低音進行)を基礎とした和声の上に成り立つ変奏曲であり、旋律主題を操作していく傾向の変奏曲ではない」(グールドのライナー・ノーツより)

カナディアン・ブラスのブラス・クィンテットの演奏、FMで聴きました。5人が違う5つの楽器で吹き分けている音色と声部をいくらピアニストが10本の指があるからといっても頭1つでやりこなすには、無理があるのを実感する名演奏です。
 チェンバロはワンダ・ランドフスカのものが強烈ですが気に入っています。特に第16変奏のトリルのしつらえが、眺躍的な付点りズムを崩さないで見事です。

ところで私は独断と偏見に満ちた「ゴルトベルク占い」をしています。特にお好きな曲がありますか?
私は「アリア」と13変奏と最後のクォドリベット(ラテン語で「お好きなように」の意味)。自己診断は「幼稚」です。
さてさて、ニーチェの掲示板でこんなおしやべりをしていいのでしようか?
不都合があればおっしやって下さい。
(2000年にあるサイトに投稿した文章)


コンサートをドロップ・アウトしたグールドの真意は、私の感性にはツァラトゥストラを通して、このように映っています。

ニーチェに何故、手紙を書きだしたのか? 「淋しかったから」です。この世に生を受けて、もうすぐ半世紀。ニーチェについて語り合うことがありません。
ニーチェもグールドも亡くなり、事実を突きつけあってみても、「噂」をしているに過ぎないので、ニーチェやグールドの芸術への愛の光を受けて輝いている人間を知りたい、ニーチェを研究対象にしている人の文ではなくて、ニーチェを愛している文が読みたい。
今回のニーチェヘの手紙が、世界の片隅からお友達を連れて来て下さったらうれしいです。


ニーチェヘの手紙1 1997年5月7日

ニーチェ様
ロッテ・レーマンが歌うメンデルスゾーンの「歌の翼に」を聞きながら、お便りを書いています。曲には、美のハイライト部分(「歌の翼に」の場合は最後のハミングとピアノのエコー)があります。私はあなた以外の哲学者に夢中になれません。ニーチェ通ではなく、著書は「ツァラトゥストラ」のある部分が経験によって少し解る。

歌はモーツァルトの「すみれ」に変わりました。ニーチェを愛読していたグレン・グールドとあなたに新茶をお供えしました、
若き日に「ツァラトゥストラ」に触れた私はその後、ニーチェの解説書を読み絶望し、積極的に人に尋ねました。
「ニーチェについて書かれた美しい文をご存じありませんか?」
皆「知らない」と答えました。
著名な方にはお便りを出しましたが、返事はありませんでした。

「自分の書いた物を理解出来る人はめったにいないだろう」と言われ、「ツァラトゥストラ」では、題名の下に「万人にあたえる書、なにびとにもあたえぬ書」と。
この言葉は副題で、皆に解って欲しいけれど、解ってくれない人には、あげる気もしない。その気持ちを書かれたのでは?

お話は変わって、先日昔幼稚園で受けた
知能テストの内容を思い出しました。
「丸の中に三角を1つ書きなさい」
というもので、正解は右図のようなものでした。

「ツァラトゥストラ」は右のような形で
説明出来ます。三角形と逆三角形です。

(注 図を載せる方法がわかりませんので空白です)

「ツァラトゥストラ」の1部に出てくる
「超人」についてこう考えます。

「ツァラトゥストラ」の中では人間の苦しみは
一貫して「海」。それが、左側の逆三角形。冷たい海の波。
地上に上がることを許されない苦悩。
海底に沈められて辿り着く。
逆三角の頂点すら越えてしまう悲しみ。
右側の三角形地位が上がったり、貯金の多さを表わす山ではなく、
あなたが書いている「山」。
超人に至る山へは、海に落ちて山を登る。
なぜなら山々があるところは、昔、海だったから。
海に落ちたことのない人には登るべき山がない。
海に落ちた人の感受性がなければ山に気づかない。
これが、「海底に真珠、花は山」の超人思想の内容?

逆三角形と三角形の頂点は絆。2つの頂点を結ぶ線は道のり。
山のてっぺんと人間のドン底は円周にふれている点で同じ?
円周は人間に内在する不可欠なスピードであり
「ツァラトゥストラ」の2部の終わりから4部にかけて書かれている
「永劫回帰」の円では?

「永劫回帰」・「時の円環性」、今が永遠ということですね。
全ては永遠の一瞬で、円で表わせるし、円の中に無数の点を書いて人の一生にl秒を見てもいい。
海山は永遠なるもののただ中で「そのどこにいても大丈夫なのだよ」と励ましているのでは?

私にとって「ツァラトゥストラ」は、仏教の「大乗」。
人間が苦しみにのた打ち、あるいは歓喜の時も永遠なる一瞬で、存在そのものが千年に1度しか飛ばない鳥でり、千年に1度しか咲かない花であると人間を歌いあげている。
サイエンスライターの柳澤桂子さん、薬害エイズの川田悦子・龍平さん親子。1960年代後半に起ったカネミライスオイル事件のカネミ油症患者の紙野さんご一家も私の目には「ツァラトゥストラ」。

ニーチェへの手紙2  1997年5月19日

ニーチェ様

その後、お変りございませんか?
友人から畑でとれた春菊の花とかすみ草、かきつばたの花束を戴きました。お花を眺めながら書いています。図書館では「この人を見よ」を借りてくるはずでした。でも貸し出し中でした。
ニーチェさんの書かれた本を中心に話題を拡げたいと思っても、自分中心に内容が進みそうです。
若き日より今日まで、あなたを語ることは自分史を読むこと。これからもニーチェ ルネッサンスの糸を紡ぎ、この織りによって人生を創る。これが最愛の哲学者への思い! 

「この人を見よ」の中で「ツァラトゥストラ」は、ご自分の作品の中でも「独自」のものと。そして「奴に襲われたのだ」と。
年譜によると一部は10日間で書かれたとのこと。これをウソだという解説者がいますが、わたしは事実だと思います。ニーチェが「ツァラトゥストラ」を書いたのではなく、ツァラトゥストラがニーチェに書かせた。

私がツァラトゥストラに会って約束をした話しを聞いてください。
発病してほぼ7年、治る見込みもなく悲しみが深まる1967年の夏、
「できることから始めよう」
大人の失笑を買うミーハーのおバカゆえに、自分のピアノをグレン・グールドに聞かせて気を引こうとは、ハイティーンなら考えつかない。この状態で15才を終えるのはもったいない。私は自分で自分の精神生命を助けたかったのです。

あなたは終生、お体の具合の悪い方でした。そしてグールドも。
2人に続いて私もというのは気恥ずかしいが、不調にかけては、ひけを取らない。現在もですが、当時もピアノを弾くのは無理でした。選んだ曲目は『ゴルトベルグ変奏曲』。倒れては起き上がってピアノを練習する。紙に○を書いて15~30分弾く都度、それを潰し休み休み練習する。
なぜ、弾き上がったのか? しかし弾き始めて4ヶ月後に整体の治療を受けたら弾けなくなりました。治療の刺激が脳に伝わり触感が著しく変化し別人の演奏になったのかな? 
混乱のまま程なくすさまじいシャーマンの修行が始まりました。

ニーチェは父親譲りの頭痛と眼痛に子供の時から悩み、「我が人生で最も暗い冬、118日間」を過ごしている。それを遺伝性の梅毒が原因としたがる噂があるけれど、私は信じません。
私の場合は、先祖の作った因縁の犠牲者達の苦しみを肉体を通して浄化する巫病ですが、それがわからずに、医者や治療家を訪ねていました。

1969年1月の7日間、午前2時過ぎに、酷さを通り越した、いつもの2時間にわたる半身ずつの大発作が終わると涙で枕を海のように濡らしている私に、音だか光だか女の人なのか、変化しながら山の頂きからゴルトベルクのアリアが聞こえてきます。
音楽が済むと「さあ、行こう」と私たちは空に飛び出したのです。

これは多くのシャーマンがカミダーリィや霊的原体験のときに経験する現象です。シャーマンの介添として現われるのは、民族によって鷹やさまざまな他の動物です。
見知らぬ天使か仙人かおじさんと外出するのは、痛みのために寝ることが出来ない私の夢ではありません。シャーマニズムでいう変性意識で、脳のチャンネルが変わり、違う波調が入ってきた。平たく言うと「気違い」。
肉体は寝床の中で、痛みは感じながらの旅行で、有史以来の芸術家たちの「憧れ」が住む山と日の出を見に行きました。
ツァラトゥストラを再読し、海と山、希望と夢は理解できましたが、「永劫回帰」はさっぱりわかりません。

ニーチェヘの手紙3  1997年5月22日

緑の山々がシンフォニーを奏でています。お体の具合は如何ですか? 狂気に倒れたあなたを思うと、どうしておられるかしら? と考えずにはいられません。
子供の時からよく無縁仏に頼られ、体が不自由になりましたが、私の40代の幕開けは、旧日本軍の医学界の人体実験の犠牲者の苦しみを受け、中年期は、日本の持つ因縁に関わることになりました。

東京オリンピックの時、公募して選ばれた言葉は「世界は一つ」「生命は一つ」宗教家なら誰でも言いますね。
体が、惨状を再現する場となり、亡くなった方の苦しみを映す。人間には共生・共有の原理があるから可能です。
死の説明も簡単。私たちは「生命は一つ」の証しで肉体を離れる。生命に帰る営みが「死」=肉体消滅。
ところが「死」を「終わり・無くなる・こわい・わからない」と不安がる習慣がある。

お話は変わって「哲学」を一言で言えますか? あなたがイタリーを好きだったことは読みましたが、スパゲティがお好きだったかまでは知りません。日本のうどんはイタリーのスパゲティの様に日本人が広く食しています。うどん好きが「すうどん」(何も具の入っていないもの)や、釜揚げのうどんを皿に盛り、少しの醤油やだしで食する理由は、うどんとだし以外があると味の良さがわからなくなるから。カロリー計算や栄養のために具が入るのはいいことでしようね。
人生とは永遠性と人間性への探求。「かけうどん」のように、メンとおつゆがあり、出来具合いが最高、これがほんとうのうどん通ならぬ人生通よね?
 
「天才とは珍しいことをするのではなく、当り前のことを珍しいまでに立派にすることである」
単純なことほど難しい。「ツァラトゥストラ」は、思想としては超人思想と永劫回帰の2本立て。その他は、あなたの理想に反する生き方と性質を持つ人達を回りくどく、ある時はぼかして表わす。
主旨は、プラントハンターのフランシス・キングドン-ウォードのように「メコノプシス・ホリデュラ(ヒマラヤの青いケシの花の植物学名)が咲く高みまで。ガレキに囲まれ、強風に咲く花に霊気」

私が地球を去る日、「ツァラトゥストラ」を守護霊とする音楽家グールドが言う。
「花を求めているうちに花になってしまって。風がビュンビュン吹く中で煩悩が飛んでしまう。君の持っていたあの『真珠』、手渡して来たの? トランぺッターが『誕生』と『ものみなうるわし』を吹いている」
*注 真珠:海底にある人間の魂の秘密を知っている真珠。ゲーテ・ヘルダーリン・ハイネによって表現されている。

私の「死」ヘのイメージです。肉体がある間に死後も持ち続ける魂を好きな色で染める。色見本が「ツァラトゥストラ」。
私は、あなたを「本質的に耳の人」と見ている。手塚富雄さん訳の「ツァラトゥストラ」は、優れた音楽でもあります。
グールドの作曲した作品を聴いた時、グールドの作品には「ツァラトゥストラ」のあの山があると風景画を見るようでした。
少女期に与えられた夢をいつまでも・・・。


ニーチェへの手紙4  1997年5月27日

春から初夏にかけて「楠」が新緑に衣替えする時、モダンな香りがします。この香りはアロマテラピーの「リンデン」の匂いのようにのんびりとできずに全神経がしゃきっとします。
芳香を切り進みながら夕暮れに法律事務所のパートタイムの仕事から家路につくとき、シューマンのメロディー(狂気と正気との境目。健康な狂気)が弾力のように私を捕らえて離しません。引き回すようにハミングする音楽の妖精の調べに乗って「永遠なるものの世界」に届いてしまう魂の実在を感じます。

お話は変わってバッハ・ベートーベン・シューマンとあなたの出身国ドイツは、音楽の精霊に恵まれていますね。

ニーチェ先生がスイスのエンガディン峡谷の村、ジルス・マリーアで「永劫回帰」の思想のインスピレーションを得たという事実には確信が持てます。
でも、超人思想が、いつ降りかかったのか。
頭痛と眼痛の発作がひどかった冬の数カ月?
それともイタリーはジェノヴァ近くのポルトフィーノ岬への散歩道での襲来?
「ツァラトゥストラ」は男の人、あるいは女性?
霊界であなたとグールド、ツァラトゥストラと私で語り合えたら、その時に色々なことが分かる。

さて、お話を「永劫回帰」に戻します。
1972年8月、自然に「永劫回帰」がわかったのです。その様子を書いた葉書は、投函せずに日記帳に残っています。

「8月も終わり、9月に入りましたが、いかがお過ごしですか?
私は毎日喫茶店にバイトに行っています。
ボーッとしていると人間なんて、行き当たりばったりの犬と変わらないのだなあと思います。高い思いもなく、頭をもたげていると、自分というものが真直ぐに水平線を目指して走り、海を超え、地球のどこの深さでもいい円周を回って、背中の方から戻ってくるような気がします。時間が最高によったものが永遠なら、この生活も同じではないかしら?(1972年9月1日)」

私の拙いニーチェ研究での7不思議の1つは、「なぜあなたは先に『永劫回帰』に、後になって『超人思想』に目覚めたのか?
なぜ「超人思想」は「ツァラトゥストラ」の第1部にあり、「永劫回帰」が2部の終りから最終部に?

私の場合、先に「超人思想」を体験した故に悩んだ。
ある日、「永劫回帰」に気付き、「ツァラトゥストラ」を読んで納得。あなたは先に「超人思想」を持ち、「永劫回帰」は後だったのでは?

私の悩みは、「ツァラトゥストラ」との約束を果たそうとするなら、芸を高めなくてはならないのに健康がない。そのギャップが辛かった。

「ツァラトゥストラ」を求めて「どこにいるの? ツァラトゥストラ」と日記のなかで呼んでいた私に、「ツァラトゥストラ」がメツセージを伝えたと思える文。

「千晴へ
 君は宇宙の中の塵芥
 なぜ世界を征服できよう
 風に吹かれるタンポポの綿毛
 だのに空中で逆い、そして考える

 君はひとつの思想に従属する
 人間「ツァラトゥストラ」
 山と超人への階段を知っている
 
 2拍子呼吸に怠情な空白
 嫉妬の原っぱに辿る道も
 誓いは希望の超人路
      (1972年5月1日)」

(「千晴」というのはある霊能者が私に付けた名前。シャーマンになる人は、多くの問題の為に先輩に助けてもらうのが定番で、霊能者にもらった「千晴」をカナダに行く前まで使っていました)

いかがでしよう? 写し書きして、面白いなと思います。
そして時は流れて「永劫回帰」に気づいた私の言葉もあります。
「自らが一つの点ではなく、円周に属する1部分であるということを自覚せよ」
(1973年3月19日)


青春の「ツァラトゥストラ」変奏曲を楽しんで下されば、嬉しい。私は、「永劫回帰」に気づき、「超人思想」から解放されてた。

14才の8月、グールドにピアノを聴いてもらおうと決心した日から、20代最後の8月にようやくトロントで毎日1時間ピアノが弾けるようになるまで、「ツァラトゥストラ」の申し子ともいうべき15年間。


ニーチェヘの手紙5  1997年5月28日

親愛なるニーチェ様

書き上げた手紙は、あなたの住所を知らないし、地球には宇宙に住んでいる人に届ける通信設備はないので、私の出している「海峡」に公表します。

ある方がポーランド系アメリカ人マーク・ロスコという画家があなたについて美しい文を書いていると教えて下さいました。彼の後期の絵は、ニーチェの影響を受けているそうです。
ニーチェファンは、秘やかに住んでいるの?

「独り隠れ住んでいる者にわたしはわたしの歌を歌って聞かせよう。
またふたりして隠れ住んでいる者たちにも、そしていまだかって耳にしなかったことを聞く耳をまだ失わないでいる者の心を、わたしはわたしの幸福でずっしりと満たそう」(序文9より)

私とツァラトゥストラの原点は、16才の冬にツァラトゥストラが、聖霊として私を訪ねて下さったこと。コリアーナの訪れがなければ歴史に興味を持てないように、ツァラトゥストラが来なければ、私はニーチェさんに会えなかった。

難解な著書を一言でいうなら、ウラジミール・ド・パハマン(ピアニスト)が教えてくれたドイツの古い言棄、「心と唇が1つに歌うとき、音楽は最も美しい」
いつかビデュ・サヤンの歌声でピアノでシューマンを歌えたら・・・エンガディン逍遙と思っているアベッグ変奏曲には、岩場と小花が沢山よ。

第3部の「さすらいびと」から。
「さてツァラトゥストラは山を一歩一歩登りながら、若い時からのさまざまの孤独なさすらいを追想して、自分が今までにどんなに多くの山々、尾根、頂上に登ったかについて考えた。
わたしはさすらい人であり、登高者である。とかれは自分の心にむかって言った。
わたしは平地を愛さない。わたしはいつまでも静かにすわっていることができないらしい。
これからも、たとえどんな運命や体験がわたしを訪れようとそれにはかならずさすらいと登高とが含まれることだろう。
われわれの体験とは、結局ただ自分自身を体験することなのだ。(中略)

かなたへ、上へ。おまえがおまえの星々をおまえの下に見ることが出来るようになるまで。
そうだ。自分自身を、そして自分の星々を見おろすこと、それこそが自分の頂上の名にあたいするのだ。それが自分の最後の頂上として残されていたのだ。(中略)

ああ、わたしの足もとに広がる黒く悲しい海。ああ、この身ごもっている、夜闇のなかの苦渋。ああ、運命と海。おまえたちのもとへ、わたしはいま降りてゆかねばならぬ。
わたしはわたしの最も高い山、わたしの最も長いさすらいの前に立っている。それゆえわたしはまず、今までにしたよりもいっそう深く下らねばならぬ。
わたしが今までにしたよりも深く、苦痛のなかへ、苦痛の最も黒い潮のなかへ下ってゆかねばならぬ。わたしの運命がそれを欲するのだ。よし。わたしは用意ができている。

最高の山々はどこから来たのか。そうかつてわたしは問うた。そして、それらが海から生じたといういことを学び知った。
そのことの証明は、最高の山々の岩石と、その頂上の岸壁に書き込まれている。最高の場所は、最深の場所から、その高みに達するのでなければならない」


詩人高村光太郎は30才の時に「さびしきみち」を書きました。この詩にもツァラトゥストラの面影が。光太郎が「植物はもう1度少年となり少女となり」と表現した青葉若葉の頃は、ニーチェを語るにふさわしい。


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by grpspica | 2004-10-01 11:47 | Comments(0)