web版4 平和の尊さ奉仕の喜び by 湯口 恵(58回生) |
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日ノ本時代
日ノ本学園中学校に入学したのは1947(昭和22)年4月。この年は教育基本法ができ国民学校はもとの小学校にもどり、男女共学、6・3・3制が実施されました。無試験で入れた中学校に行かないで、日ノ本学園中学校を受験して入学したのです。競争率は3倍近かったとか。
下寺町にあった日ノ本学園の門を入ったところにガレキの山があったのを覚えています。それは奉安殿をとりこわしたものと聞きました。後で聞いたことですが、戦争中にその近くに穴を掘って聖書や讃美歌をその中に捨てさせられたそうです。
その年の5月3日日本国憲法の施行、それを習ったのも私たちがはじめてでした。民主主義、デモクラシー、自治の中で育てられたのです。
クラブ活動も活発で生徒が主体となってのびのびとやりました。先生の指導もあったのでしょうが、その覚えもないくらいです。私はギニヨール(人形劇)のグループに入りました。また英語劇「ベニスの商人」も上演しました。
波岡三郎校長が戦争中に投獄されたことを聞きましたが、その頃あまり考えず、社会人になって戦時下抵抗の研究会などで学びました。
高校1年の時に朝鮮戦争が始まりましたが、そのときは平和問題や社会問題にはかかわりませんでした。
高1か高2のとき、みな私服で通学していたので制服を作ろうとデザインを考え、ボタンにもこったブレザースーツ型を提案して採用していただきました。

1924(大正13)年10月から任意着用
1926年から新入生は全員、上級生は希望者のみ

2007年入学の115回生まで使用
また洋画かぶれで「卒業式にはガウンを着たい」と申し出てこれもとりあげていただきました。


1953年2月、58回生の卒業式後の集合写真は新チャペル前で撮影された。
生徒が来ているガウンが湯口さんたちの提案で採用されたもの。
1952年9月着任のマックレラン先生も写っている。
井口仁先生が新卒で赴任されたのも高校時代でしたでしょうか。先生にハイYの活動を紹介してもらいました。
ビクスビー先生の指導で聖歌隊が充実し、学内のクリスマスだけでなく市の公会堂でクリスマスシーズンにハレルヤコーラスも演奏しました。

先生?、波岡三郎先生、ビクスビー先生?
中学生もいるなら湯口さんもいるはず
また井口仁先生よりワークキャンプ(労働奉仕をしながら聖書の学びをする)のことを知らせていただき、釜ヶ崎の西成社会館、婦人同情会、児童養護施設などへ出かけるようになりました。
このように日ノ本学園での生活を通して、知らず知らずのうちに社会との関わり、奉仕、平和の尊さを身につけられるようになったのは大きな恵みです。
卒業後
1953(昭和28)年、日ノ本を卒業して神戸女学院大学文学部に進学し、住まいも父の転勤で姫路市網干から神戸に移りました。
その年の4月5日のイースターに父母も私も通っていた日本キリスト教団五軒邸教会で受洗しましたが、転居に伴い神戸教会へ転会し、青年会で読書会、神学研究会などの学びを、社会問題や戦時下のことなどを通して波岡三郎校長のことを研究しました。また日曜学校の教師などもしました。
神戸女学院卒業後は、神戸YWCAに就職して1970年総幹事に就任し、1995年3月の定年退職まで神戸・福岡・名古屋のYWCAに勤めました。YWCAは戦時下の反省にたって憲法を守る運動、働く女性の地位向上、国際友好国際理解のための活動を展開しました。
神戸では1972昭和47年にはじめての外国人に対する日本語教師養成講座を開講しました。
1978昭和53年5月に赴任した福岡では、YWCAナースリースクール(保育園)園長などを兼務しました。ここでも1983昭和58年に神戸以西初の外国人に対する日本語教師養成講座を開講、九州各地から受講生が集まりました。
1988昭和63年4月名古屋に移り、翌年開校の名古屋YWCA学院日本語学校長を兼務、ここで定年を迎え1995平成7年6月神戸に帰ってきました。
教会は転任に伴い当地の日本キリスト教団に所属し、役員もつとめさせていただきました。
神戸に帰って来たのは阪神淡路大震災後でしたが、キリスト教徒・YWCAの一会員として「被災ベトナム人のための日本語教室」「学びと交わりの場アフタヌーン・ティー」「児童文学研究講座、ストーリーテラー養成、研究会を内容としたマザーカレッジ企画会」「子供文庫支援」など、いろいろな運動に関わって現在に至っています。
日本キリスト教団兵庫教区クリスチャンセンターのフィーリー記念室の学習会で、魚住みち先生と出会い、一緒に学習会などの企画をしたことも懐かしい思い出です。児童文学講座には姫路から日ノ本学園の卒業生も参加してくださっています。
ふりかえってみれば多感な思春期を日ノ本学園での多くの先生方や個性豊かなクラスメートとの出会いが、私の出発点になっているのだとつくづく感じます。
神戸YWCAの日本語教師養成講座を内田タミ先生が受講され、終了後姫路のベトナム人難民に日本語学習支援をボランティアでなさいました。私が今もベトナム人に関わっているのは内田先生の影響でしょう。
私の同級生でヨルダンのことなどを研究し、現地にもよく行ってらした井上夕香(山田文子)さんが昨年(2014年)12月亡くなられました。もしおられたらテレビで解説などされたでしょうと残念です。
すでに天上に帰られた先生方、クラスメートの人々を偲ぶこの頃です。(2015年2月4日記)
Q&A
Q:ハイYというのはハイスクールYWCAのことですか?
A:いいえ、井口先生が教えてくださったのは、ハイスクールYMCAでした。
少し後になって、ハイスクールYWCAにも参加するようになったと聞いています。
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香保のコメント
★1947年入学1953年卒業の58回生は105名です。
★湯口恵様は、2016年3月、地上での役割を終えて天に召されました。
★本文末尾の井上さんに関する部分は、2015年1月から2月にかけて2名の日本人がイスラム国に捉えられて命を失った事件を念頭においておられます。
★登場する先生方
井口 仁先生:社会、教頭、校長代理、9代校長、昭和23年9月~昭和63年3月
ビクスビー先生:宣教師、音楽、聖書、大正6年10月~昭和3年4月、昭和10年9月~昭和13年6月、昭和21年11月~昭和27年7月
チャップマン先生:宣教師、英語、昭和23年9月~昭和27年7月
魚住みち先生:国語・教頭・10代校長、昭和21年10月~昭和62年3月